木洩れ日の家で

2011/03/22 松竹試写室
モノクロームの映像がとても美しいポーランド映画。
主演女優の表情に魅了される。by K. Hattori

Komorebi  木々に囲まれたワルシャワ郊外の屋敷に、愛犬と共に暮らす91歳のアニェラ。共産党政権時代に押しつけられた厄介な間借り人が出て行った今、アニェラの望みは息子夫婦や孫と一緒にこの家で暮らすことだ。息子が戻ってくるまで、アニェラの楽しみは双眼鏡で隣家の様子を観察すること。向かいの家には若い女が住んでいるが、どうやら金持ちの愛人か何からしく、アニェラはこの隣人にあまり好感を持っていない。一方もう一件の家は若い夫婦が子供たちのための音楽学校を開いていて、連日子供たちの歓声や楽器の音で賑やかだ。時々子供たちが庭のフェンスをくぐってアニェラ宅の庭に忍び込んだりするが、そんな子供たちの姿をなかば疎ましく思いつつ、その姿はアニェラの記憶の中でまだ幼かった息子の姿と重なり合う。ある日、向かいの家の若い女のもとから、アニェラの住む屋敷を高値で買い取りたいという申し出がある。彼女はこれをすぐ断るのだが、その後あることを知って衝撃を受けるのだった……。

 監督・脚本は『僕がいない場所』のドロタ・ケンジェジャフスカ。主演のダヌタ・シャフラルスカはこの映画を撮影時に91歳だったそうだが、年齢をまったく感じさせぬ、それでいて登場人物の人生の年輪を感じさせる演技を見せる。映像が全編モノクロームで撮影されているのも、この映画の大きな特徴。柔らかくて艶のある映像の中で、主人公アニェラと愛犬フィラデルフィアは、屋敷やそれを包み込む木々の中にすっかり馴染み、溶け込んでいる。しかしこの映画、技術的なことそのものよりも、主演女優の存在感が断然光る。クローズアップの絵が多いのだが、そのアップに堪える素晴らしい表情なのだ。彼女の芝居を受け止める唯一のパートナーは1匹の犬なのだが、この犬もじつに愛嬌たっぷりにいい芝居を見せてくれる。

 主人公の独り言がボイスオーバーの一人称語りのように映画全編を覆い尽くし、映画全体を彼女の視点から描かれたドラマのように思わせているのがこの映画のミソ。だが映画の後半で、こうしたとらえ方が観客の誤解であることが明らかにされる。彼女がある決意を胸に屋敷から外に出ると、そこで彼女の言葉が完全にオミットされるのだ。この映画はアニェラの視点で語られているわけではないことが、この時点でようやくわかる。では誰の視点なのか。それはこの屋敷そのものだろう。日本語タイトルにある「木洩れ日の家」そのものが、この映画の主人公なのだ。

 物語そのものはありふれたもので、映画ファンなら小津安二郎の『東京物語』や、黒澤明の『生きる』を思い出すかもしれない。だがこの映画はストーリーを楽しむものではなく、映画の中でアニェラというひとりの女性と同じ時間を過ごすことに意義がある。自分が年を取った時、こんな我がままで、頑固で、意地悪な老人になれたら、なんと痛快だろうか。これはこれで、「老い」のひとつの理想だろう。

(原題:Pora umierac)

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4月16日公開予定 岩波ホール
配給:パイオニア映画シネマデスク パブリシティ:アルシネテラン
2007年|1時間44分|ポーランド|カラー|ビスタ|ドルビーSRD
関連ホームページ:http://www.pioniwa.com/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:木洩れ日の家で
関連DVD:ドロタ・ケンジェジャフスカ監督
関連DVD:ダヌタ・シャフラルスカ
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