唐山大地震

−想い続けた32年−

2011/02/23 松竹試写室
大地震が生き残った人々の心に残した生々しい傷跡。
実際の大地震をモチーフにしたメロドラマ。by K. Hattori

Tozan  1976年7月28日早朝、中国大陸の産業・経済の中心地のひとつである唐山・天津地区を、マグニチュード7.8の地震が襲った。震源は唐山市中心部の直下約11キロメートル。本震とその後起きた余震(最大マグニチュード7.1)のため、死者24万人、重傷者8万1千人以上という大きな被害を出した。ちなみに関東大震災の死者・行方不明者は14万2,800人だったというから、唐山地震はそれより10万人も多い。映画『唐山大地震』はこの地震をモチーフにしたヒューマンドラマだが、映画の序盤は最新の特撮技術で唐山地震を再現したディザスター・ムービー。それ以降は、地震で離ればなれになった家族が、心の傷やしこりを乗り越えて再会するメロドラマになっている。

 メロドラマというのは登場人物のキャラクターを掘り下げて内面的な葛藤を描くのではなく、人物の外側で次々に事件を起こして主人公に葛藤を引き起こす作劇スタイル。この映画では地震によって家族が引き離され、その後に再度起きた地震によって、離散していた家族が再び巡り会うという構成になっている。地震という外的な要素で人間が動いていくわけだから、これは典型的なメロドラマ。都合がいいと言えば都合がいいわけだが、この映画は「地震による被害が人々の心にいかなる影響を与えるか」ということがテーマなので、こうしたメロドラマ的展開はやむを得ないところだ。要はメロドラマがメロドラマとしてよくできていればいいわけで、この映画はその点、比較的よくできたメロドラマだと思う。

 この映画は「母もの」なのだ。生き別れになる母と子供がいる。実の母と引き離された子供は、養父母に育てられる。養母との確執がある。養母との別れがある。実母のもとで育てられた子供も、母のもとを巣立って行く。やがて子供も親になる。子供時代には気づかなかった親の愛情に、自分が親になって初めて気づくことがある。子供と母との再会。母は別れたときと同じように、我が子を抱きしめる。この映画には何度か号泣ポイントがあるのだが、それはすべて「母と子」にまつわるエピソードにからんでいる。

 1976年の唐山地震から2008年の四川大地震までをひとつの区切りとした映画だが、結果としてこの間の中国現代史を、市井の市民の視点で描く作品になっている。唐山地震の直後に毛沢東が亡くなり、1978年からは搶ャ平時代になって経済成長が著しくなる。唐山で主人公一家が住んでいたアパート跡地は百貨店になり、市内には高層ビルが林立するようになる。着の身着のままで路上に投げ出されていた子供たちは、外車を乗り回し、流暢に英語をしゃべって外国暮らしをするようになっている。わずか30数年で、中国は激変している。そうした大きな変化が背景にあればこそ、30数年間変わることのない「肉親の愛情」がなお一層胸に迫るのだ。

(原題:唐山大地震)

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3月26日公開予定 丸の内ピカデリーほか全国公開
配給:松竹 宣伝:アルシネテラン
2010年|2時間15分|中国|カラー|シネスコ|Dolby-SR、Dolby-Digital
関連ホームページ:http://www.tozan-movie.jp/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:唐山大地震 AFTERSHOCK
関連DVD:フォン・シャオガン監督
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