ナンネル・モーツァルト

哀しみの旅路

2011/02/22 松竹試写室
女性ゆえに才能を認められない時代に生きた少女の悲劇。
モーツァルトの姉ナンネルの物語。by K. Hattori

Nannerl  映画『アマデウス』の主人公としても知られる大作曲家ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの父レオポルトは、音楽の才に溢れた子供たちの売り込みに熱心なステージパパだった。モーツァルト一家はそんな父に引率されるままヨーロッパ各地を旅行し、居並ぶ王侯貴族の前で腕前を披露した。この時、まだあどけない少年モーツァルトと一緒に万雷の拍手を浴びたのが、4歳半年上の姉マリア・アンナ・モーツァルト(愛称ナンネル)だった。演奏旅行では時としてこの姉の方が人気があったようだが、やがて彼女は音楽活動の一線から退いてしまう。この映画はそんな彼女の謎めいた生涯を、想像力で補いつつ描いた伝記映画だ。

 映画の中ではナンネルが、弟のヴォルフガングに匹敵するかもしれない才能を持つ天才作曲家として描かれている。しかし当時は女性が演奏家や音楽教師になることはできても、作曲家として活動する場所はどこにもなかった。それどころか女性には作曲ができないと思われていた。劇中で父レオポルトがナンネルに向かって、「和声や対位法は複雑すぎて女には理解できない」と言う場面がある。作曲に必要な音楽の理論は高度な知的能力と技能を要するものであって、知的な能力が男に比べて格段に劣る女は作曲など最初から無理だと決めつけているのだ。ここにはまったく悪意はない。悪意はないけれど、間違っている。でもその間違いに、誰も気づいていない。「弟が最初に作曲してお父さんを大喜びさせた曲は、じつは自分が書いたのだ」と告白するナンネルに、レオポルトは困惑するしかない。そして顔色を変えて「お前の書いたピアノソナタは音が破綻していた」と言い放つ。女には作曲ができないという先入観が、女が作曲した楽曲はダメだという結論を自動的に導き出してしまうのだ。レオポルトもこの時点で、自分の考えがどこか間違っていると直感する。でもそのどこが間違いなのかがわからない。

 父親に音楽の才能を否定されたナンネルは、その後、自分の音楽の真の理解者、擁護者を見つける。それは若きフランス王太子ルイ・フェルディナン(ルイ15世の息子で、フランス革命で処刑されるルイ16世の父。父の存命中に亡くなったため国王になることはなかった)だった。ここから物語は、ルイ15世を巡る様々なスキャンダルを紹介しながら、ナンネルと王太子のロマンスを丁寧に描いていく。ナンネルが王太子に献げた楽曲を、王太子がお抱え音楽家たちに演奏させるシーンがこの映画のクライマックス。映画の中で、この若いカップルがもっとも純粋な幸福を味わう一瞬だ。

 女性が女性であるという理由だけで、本来の才能や能力を認められなかった時代の悲劇。だがこれをそうした歴史的文脈だけで見てしまうと、かえって映画を矮小化してしまうと思う。自分の才能を信じながら、様々な事情でその道をあきらめざるを得ない若者は、いつの時代にもいるのだから。

(原題:Nannerl, la soeur de Mozart)

Tweet
4月上旬公開予定 Bunkamuraル・シネマ
配給:アルバトロス・フィルム 宣伝:グアパ・グアポ
2010年|2時間|フランス|カラー|サイズ|サウンド
関連ホームページ:http://nannerl-mozart.com/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:ナンネル・モーツァルト 哀しみの旅路
関連DVD:ルネ・フェレ監督
ホームページ
ホームページへ