ゲスト

2010/10/28 TOHOシネマズ六本木ヒルズ(スクリーン2)
映画の意味を問いかけながら監督は世界中を旅して行く。
スケッチ風の白黒ドキュメンタリー映画。by K. Hattori

Tiff_2010  『シルビアのいる街で』のホセ・ルイス・ゲリン監督が、各地の映画祭に招かれて世界中を訪ねて回る合間に撮影したドキュメンタリー。即興的に撮られた、相互に何の係わりもない映像のつながりのようにも見えるが、編集に一定のリズム感があって2時間以上の上映時間がさほど苦にならない。中身は本当に即興でスケッチ風に撮っているらしきものもあれば、何日も同じ場所に通い詰めて特定の人物を追っている部分もあり、それが映画を撮っている「旅人」の感心の度合いを現しているようで面白い。まったく脈絡なく編集された映画のように見せながら、あちこちに共通のモチーフが登場するのはもちろん偶然ではないだろう。ひとつは「映画」にまつわる会話であり、もうひとつはどこに行っても出現するキリスト教原理主義者の街頭説教だ。

 映画についての会話はこの作品の中でほんの導入部だけが紹介されて、肝心の中身は割愛されていることが多い。ラジオ番組のゲストに招かれた監督が、DJに紹介されてこれからインタビューがはじまりそうだというところで内容はカット。映画祭の記者会見で司会者が監督を紹介した後、記者たちとの間で質疑応答が始まりそうなところで内容はカット。これから先を仮に映画に残していても、それは「言葉による説明」だから映画的ではないという理由か、それとも自分の映画については、映画作品そのものを通して語らせようということか。

 そんな中でたっぷり残されている対話が、言葉の通じない子供たちとの間で、撮影中の映画をいつ公開するかというちぐはぐな問答が行われる部分だ。カメラの前で盛んに自分たちが画面に入るようにアピールしながら、「映画はいつ公開されるの?」と問う子供たち。「2年後」と答える監督に対して、子供たちは「2時からか? どこの放送局だ?」と矢継ぎ早に質問する。この会話は通訳を介していないこともあって、じつは互いにまったく肝心なところが通じていないのだが、映画を観る側はその話の通じていなさ加減を字幕で確認できるというのが面白い。本人たちはいたって大まじめに会話しているのだが、それが映画では取り違えのギャグになっている。ドキュメンタリーが、結果としてコメディ映画になっているのだ。

 ここではまた、発展途上地域において「映画」がもはや「テレビ」とイコールになってしまっている現実を教えてくれる。映画は映画館で観るものではないし、DVDやビデオで観るものでもない。それはテレビで放送するものなのだ。短いエピソードではあるが、映画の受容のされ方について考えさせられるものだった。

 あとこの映画で気になったのは、世界のどこにでも路上にはキリスト教伝道師がいること。伝道師がいるのは伝道の必要があるからで、つまり今はそれだけキリスト教が世俗化して人々が信仰から離れているという意味だろう。これは世界のどこでもそうなのだ。

(原題:Guest)

Tweet
第23回東京国際映画祭 WORLD CINEMA
配給:未定
2010年|2時間13分|スペイン|モノクロ
関連ホームページ:http://www.
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
関連DVD:ホセ・ルイス・ゲリン監督
ホームページ
ホームページへ