トキヤとシュンは高校時代からの親友同士。両親が離婚したことで転校を余儀なくされたトキヤにとって、シュンとの出会いは険悪なもの。だが音楽室でひとりピアノを練習するシュンの姿を見つけたことから、ふたりの距離は急速に近づいて行く。シュンは通学路で出会う楽譜を持った少女に一目惚れし、彼女に自分の演奏したピアノ曲を献げようとしていたのだった……。それから数年後、トキヤは病院で記憶喪失の少女・紺野さんに出会う。彼女は事故がきっかけで過去を失い、不安そうな顔でトキヤを見つめるのだった。退院した紺野さんは同じように記憶障害を持つ人たちが共同生活をする施設で、同じ障害を抱える仲間たちと共に暮らし始めていた。間もなくトキヤも、その施設で働きながら共同生活するようになる。やがて紺野さんは施設で行われるパーティーの余興で披露するためピアノを練習しはじめ、トキヤも練習に付き合うようになるのだが……。
映画はトキヤとシュンの友情から始まり、トキヤと紺野さんの物語になってからはそこにトキヤとシュンの対話が何度か挿入され、最後にトキヤと紺野さんの物語にシュンが合流して行く構成。映画を最後まで見ると「ストーリー」は理解できるし、このお話自体は別に悪くないと思う。問題は「プロット」だ。同じストーリーを語るにしても、それをどのようなエピソードの単位に分解し、どのような視点から、どのような順序で、どのようなタッチで語っていくかについては無限の可能性がある。この映画が採用しているのは、その無限の可能性の中のひとつの方法に過ぎない。しかしこの映画は、プロットを組み立てる際に最良の選択をしているだろうか?
僕は映画の途中でシュンが消えてしまい、その後断片的にしか登場しなくなることに不満を感じる。この映画はトキヤとシュンの友情が一方の軸になっているはずなのに、物語の中でシュンの存在感が薄いのだ。これは映画序盤で、シュンのエピソードをもっと増やしておく必要がある。例えばシュンが憧れの女の子に告白するまでを、序盤のエピソードに組み込んでしまう。ただしここでは、女の子の顔を出す必要はない。物語の中心はトキヤとシュンの友情にあるからだ。女の子は顔より下だけを写すなり、後ろ姿にするなりして、さりげなく顔を隠しておけばいい。紺野さんが現れた後の会話挿入シーンも、もう少し長めに、エピソードを増やして「恋人たちの危機」を強調する。トキヤが紺野さんと共に過ごしながら、一方では親友シュンにあれこれ世話を焼いていることをたっぷりと描く。パソコンのビデオチャットだけでなく、何度も電話をしてもいいし、直接会って会話をするシーンも入れていい。とにかくシュンを、映画から追い出さないことだ。そうすることで初めて、終盤の仕掛けが生きてくる。この映画は構成が間延びして、回りくどい印象の映画になってしまった。
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