ブロンド少女は過激に美しく

2010/08/05 シネマート銀座試写室
職場の窓から見初めた隣家の少女に翻弄される青年の悲劇。
同時上映はの『シャルロットとジュール』。by K. Hattori

Blondegirl  リスボンからアルガルブに向かう長距離列車。思い詰めた表情の青年が、隣席に座っていた見ず知らずの婦人にある物語を語り始める。それは苦しく切ない恋の物語だった。青年の名はマカリオ。会計士として叔父の経営するリスボンの高級洋品店で働いていた彼は、仕事部屋の窓から通りの向かいの家に住む金髪の少女の姿を見つけて胸をときめかせる。彼女の名はルイザ。知人を介して彼女と親しくなったマカリオは、やがて彼女と結婚の約束をする。だが叔父はこれに大反対して、どうしても結婚したいという甥っ子を店から追い出してしまった。叔父の店を辞めてしまえば、彼は無一文の若造に過ぎない。だが捨てる神あれば拾う神あり。彼の窮状を知ったある男が、カーボヴェルデ(大西洋にある旧ポルトガル領の島国)での仕事を紹介してくれる。マカリオはルイザに別れを告げてカーボヴェルデへ。そこでさんざん苦労をして、青年はポルトガルに戻ってくる。だがこの財産を、青年はまんまと騙し取られてしまうのだ。再び無一文になったマカリオ。再びカーボヴェルデで働く誘いはあるが、彼にはもはやそこで働き抜く気力が萎えている。そんなマカリオに向かって、外国に行く前に挨拶に来いと叔父が声をかけるのだが……。

 原作は『アマロ神父の罪』などの作品で知られるポルトガルの文学者エッサ・デ・ケイロス(1845〜1900)の短編小説。書かれた時代が古いので(1873年に書かれたそうだ)、登場人物の設定などに現代では多少不自然な点も出てくる。例えば主人公マカリオがルイザに結婚を申し込む前に、まずその母親に結婚の許しを得ることや、マカリオの叔父が甥の結婚に反対して店から追い出してしまうことなどだ。映画冒頭の列車のシーンを観ても、登場人物たちの服装などを観ても、この映画の舞台が現代であることはわかる。しかしそこで行われている生活は、19世後半の形をとどめているのだ。しかしこれが、まったく映画の傷にはなっていない。映画には「物語」を楽しむものと、「語り口」を楽しむものがある。この映画の場合は後者だ。「恋物語」としての結末は、マカリオが思い詰めた顔でひとりで旅をしていることから大体察しがつく。もちろんここから大逆転のハッピーエンドも十分に有り得るし、そういう映画もたくさんあるのだが、とりあえず彼は映画冒頭の時点では幸せそうに見えない。ならば少なくとも一連の回想シーンが終わって映画が冒頭の列車のシーンに戻るまでは、ハッピーエンドにならないのだろう。はたして映画は、まさにそうした道筋をたどっていく。

 しかしこの映画を観ると、映画の魅力というのは「物語」ではないことがわかる。フィックス画面の中で展開される芝居を、長めのカットで区切りながらゆったりつなげてゆくそのリズムとテンポが、公園のブランコをこぐ時に味わうのにも似たシンプルな心地よさを与えてくれる。

(原題:Singularidades de uma Rapariga Loura)

9月公開予定 TOHOシネマズシャンテ
配給:フランス映画社 宣伝:アルゴ・ピクチャーズ
2009年|1時間4分|ポルトガル|カラー|1:1.66|ドルビー
関連ホームページ:http://www.bowjapan.com/
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