ロストパラダイス・イン・トーキョー

2010/07/29 映画美学校試写室
障害を持つ兄を世話する弟がひとりの風俗嬢に出会う物語。
人は人とのつながりの中で救われる。by K. Hattori

Lostparadiseintokyo  知的障害を持つ兄の実生(さねお)とふたりきりで暮らしていた実家の父が亡くなり、東京で暮らす幹生(みきお)は小さなアパートで兄と二人暮らしを始めた。会社にも兄のことは話していない。父が兄のことを世間から隔離して家に閉じ込めていたように、幹生も兄を小さな部屋に閉じ込めておくしかないと考えている。だが自分では解消できない幹生の性欲を処理するため、幹生が部屋にデリヘル嬢のマリンを呼んだことから、幹生の生活は大きく変わっていく。自分の部屋を持たず客の部屋を泊まり歩いていると言うマリンが、兄弟の部屋に何となく居ついてしまったのだ。彼女は周囲とコミュニケーションが取れないまま徘徊する実生をケアし、いつしか幹生が悩みを打ち明けられる唯一の相談相手になってしまう。「実生には実生がそのまま自分らしく生きられるアイランドが必要なんだよ!」と言うマリンは、彼女自身の夢を幹生に語るのだが……。

 都会の中で何者でもない匿名の存在として浮遊していく女と、濃密な人間関係のくびきにつながれ息も絶え絶えになっている男が出会い、いつしか互いの重荷を担い合おうとしてゆく物語。女が風俗嬢であり、同時に秋葉原に出没する自称アイドルであったりする「イマドキの映画」然とした作品ではあるのだが、それらをはぎ取っていくと、ここにあるのは時代や風俗に左右されない素朴で力強い物語がある。主人公の幹生を縛る「障害を持つ兄の世話をしなければならない」という話は、別の時代であれば「病気の母の世話をする」という話だったかもしれないし、「配偶者が事故に遭って入院してしまった」という話だったかもしれない。人間関係の暗い檻に閉じ込められた人間を救うのは、その世界の外側からやって来た人間でしか有り得ない。それは流れ者のガンマンか、漂泊の旅人か、新任の警察官か、何にせよ、どこからかやって来てやがて去ってゆく人間によって、主人公は救われるのだ。この映画に一番近い人間関係のアンサンブルを持っているのは、『ギルバート・グレイプ』だろう。主人公の兄弟が自閉症であることや、流れ者のヒロインに救われることなども同じだ。

 しかしこの映画のユニークな点は、主人公を救う流れ者もまた、自分が根を下ろすべき場所を探し求めているところだ。むしろこの映画は、この流れ者の女こそが主人公のようにも見える。人間関係が希薄な都会での暮らしや、ネット社会での匿名性などを通して、現代人はいつでも彼女と同じような「何者でもない存在」になってしまう。この映画を観る人の多くは、家族の世話にかかり切りになって苦しむ幹生よりむしろ、根無し草として身ひとつで世界を漂流しているマリンに、より近しい感情を抱くのではないだろうか。

 根無し草は気楽だ。しかし人もどこかに根を下ろさなければ、やがて枯れて死んでしまう。だが人が根を下ろすべき場所は、結局「人間関係」の中にしかないのだ。

9月18日公開予定 ポレポレ東中野にてレイトショー
配給:SPOTTED PRODUCTIONS
2009年|1時間55分|日本|カラー
関連ホームページ:http://lostparadise.seesaa.net/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
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