ゾンビランド

2010/05/10 ショウゲート試写室
強伝染性のウィルスによって世界はゾンビランドになった。
豪華キャストのゾンビ・コメディ映画。by K. Hattori

Zombieland - O.S.T.  ある日突然、感染力の強い未知の病原体が世界中に蔓延し、アメリカは「ゾンビランド」になってしまう。この危機から辛くも逃れた4人の男女が、1台の車に乗り合わせて一路西海岸の遊園地を目指す……という物語。基本的にはB級テイストのゾンビ映画に他ならないのだが、出演している俳優がA級。過去に2度アカデミー賞候補にもなっているウディ・ハレルソン、『リトル・ミス・サンシャイン』でオスカー候補になった名子役アビゲイル・ブレスリン、若手売り出し中のジェシー・アイゼンバーグとエマ・ストーン、そして大ベテランのビル・マーレイが本人役で出演するという豪華版。これだけの顔ぶれが揃うと、映画の作りがB級テイストでもドラマとしての厚みが違う。どの場面にも、表面的に描かれている意味とは別の「含み」が出てくる。

 ゾンビから逃れて一緒に戦う人間たちが、疑似家族的なつながりを持ち始めるという展開は、このジャンルの源流であるジョージ・A・ロメロの『ゾンビ』(1978)にもあったものだ。しかしこの映画ではその背後に、家族の絆が希薄になっている現代社会というものを前提としている。『ゾンビ』の時代には誰もが日常的に「家族」を持っていたがゆえに、本来の家族関係が危機の中で失われれば、それに替わる新しい家族が自然に形成されるという流れはわりと自然に成立し得たのだと思う。しかし『ゾンビ』から30年たって、家族の姿は大きく変わっている。この映画の主人公たちには、そもそもきちんとした形の「家族」などなかったのだ。語り手である青年コロンバスは、一人暮らしの自宅アパートに引きこもっていたゲームオタク。ウィチタとリトルロックの姉妹詐欺師コンビは、おそらく親に棄てられている(このふたりが本当の姉妹かどうかもわからない)。ビル・マーレイも大邸宅で一人暮らし。ゾンビ殺しのスペシャリストであるタラハシーにしても、少なくとも30年前の人々が思い描くような「家族」とは異なった生活を送っていたように思える。現代人は規範となる「家族」の姿を共有できない。そこで「家族」を作るのは結構大変なのだ。

 登場人物たちが本名ではなく、最初から最後まで原則として地名をベースにした「あだ名」で呼ばれているのが面白い。その極端な例は「406」だが、これなどは地名と呼ぶのもおこがましい単なる部屋番号だ。(唯一の例外はビル・マーレイだが、彼は映画の中で自らが演じたキャラクターを再演することで「ハリウッド・スター」という記号と化している。)しかしこうしたあだ名での呼びかけが、オンライン・ネットワークで互いが「ハンドルネーム」で呼びかけていることとの類似性を感じさせもする。「あだ名=記号」で呼びかければ、そこに自動的に距離感が生じるというわけでもない。むしろあだ名の中にこそ、その人物の存在のリアリティがある。

(原題:Zombieland)

7月24日公開予定 ヒューマントラストシネマ渋谷
配給:日活株式会社 宣伝:フリーマン・オフィス
2009年|1時間28分|アメリカ|カラー|2.35:1|ドルビー・デジタル、DTS、SDDS
関連ホームページ:http://www.zombieland.jp/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:ゾンビランド
DVD (Amazon.com):Zombieland
サントラCD:Zombieland
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