セラフィーヌの庭

2010/04/26 松竹試写室
20世紀初頭の画家セラフィーヌ・ルイの伝記映画。
芸術家の才気と狂気は紙一重だ。by K. Hattori

Serafine  1912年。ドイツ人のウィルヘルム・ウーデは、中世の街並みが残るフランス中北部の小さな町サンリスに静養のため小さな部屋を借りた。彼は画家のアンリ・ルソーを見出したことで有名な美術評論家であり、美術蒐集家であり、画商であり、若い芸術家のパトロンだった人物。だが仕事を離れてこの地を訪れていたウーデは、知人宅でまだ新しい1枚の板絵を見つけてその表現の力強さに愕然とする。その絵を描いたのは、毎日ウーデの部屋を掃除に訪れるセラフィーヌという中年家政婦だった。彼女は天使のお告げで40歳を過ぎてから独学で絵を描き始め、誰に見せるでもなく一人黙々と作品作りに没頭していたのだ。ウーデは彼女の絵に、ルソーと同じような才能の輝きを見出し、作品を何点か買い取ると共に、家政婦を辞めて画業に専念するようアドバイスする。だが間もなく第一次世界大戦が勃発。敵国人であるウーデはドイツに帰国せざるを得なくなる。

 ウーデが再びフランスに戻って来たのは十数年後のこと。シャンティイで暮らすようになったウーデは、サンリスの市役所で開かれたアマチュア向けの絵画展でセラフィーヌの絵を発見。すぐさま彼女に連絡を取ると、画材を買い与え、生活費を支給するなど、創作活動の全面的なバックアップを開始する。この才能を、再び埋もれさせてはならない。だがそんなふたりに世界恐慌が襲いかかる。不況になれば絵を買ってくれる人はいなくなる。ウーデはセラフィーヌに約束した個展開催などを、日延べせざるを得なくなる。しかしセラフィーヌはこの頃から精神のバランスを崩し、常軌を逸脱した行動が目立つようになる。彼女は病院に収容されて、二度と絵を描くことができなくなってしまう。

 映画の主人公はセラフィーヌだが、劇中の彼女は最初から正気と狂気の境界をさまよっているようにも見える。彼女を平穏な日常に縛り付けていたのは、家政婦や洗濯女としての「仕事」だった。仕事が終わって創作活動に没頭しても、翌日にはまた掃除や料理や洗濯という日常の仕事が待っている。しかし彼女はウーデに見出されることで、創作活動に没頭する生活に入ってしまう。日々回帰すべき日常を失った彼女の絵はより大胆さを増してウーデを大喜びさせるが、セラフィーヌはやがて創作活動が持つ狂気に捕らえられて、狂気そのものの世界に落ち込んでいく。

 実際のセラフィーヌやウーデがどうであったかはともかく、映画を観ている限り、セラフィーヌはウーデと出会いさえしなければ、その後の一生を「趣味で絵を描いている風変わりな家政婦」として過ごせたような気もする。ウーデと出会うことで彼女は「素朴派」を代表する画家のひとりとして美術史に名前を残すことになったわけだが、それと引き替えに彼女が味わうことになった人生の何という過酷さ。狂気のセラフィーヌを見つめるウーデの悲しい目の中には、彼女を狂気に追いやった自責の念があるようにも見える。

(原題:Seraphine)

8月7日公開予定 岩波ホールほか全国順次公開
配給:アルシネテラン
2008年|2時間6分|フランス、ベルギー、ドイツ|カラー|アメリカンビスタ|SR、SRD
関連ホームページ:http://www.alcine-terran.com/seraphine/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:セラフィーヌの庭
関連DVD:マルタン・プロヴォスト監督
関連DVD:ヨランド・モロー
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