ギュメ寺は祈っている

〜チベット密教最高の学問寺はいかにして再興されたか〜

2010/04/19 映画美学校試写室
インド南部に亡命したチベット仏教の学問寺・ギュメ寺。
その内部を取材したドキュメンタリー。by K. Hattori

Gume  チベット仏教の教えと伝統を次世代に伝える、学問と修業のための寺院(学問寺)・ギュメ寺。15世紀にチベットの首都ラサに建立されて以来、チベット仏教に伝わる密教と顕教を同時に学べる寺として大切にされてきた。しかし1950年には中国がチベットを侵略。1956年からはチベット人と人民解放軍の大規模な衝突が起こり(チベット動乱)、1959年には首都ラサでも大規模な武装蜂起が発生する。圧倒的な武力を伴った中国の弾圧を逃れてダライ・ラマはインドに亡命して、インド北部に亡命政権を樹立。多くのチベット人が難民としてインドに流れ込むことになった。ギュメ寺もこの頃にラサを離れ、南インドの中心都市バンガロールから300キロほど離れたフンスールという場所に、多くのチベット人難民と共に移っている。難民用の入植地という場所は、もともとそこに住む人の少ない荒れ地だったことを意味する。1986年、当時はまだ日本にあまり紹介されていなかった砂曼荼羅を調べるためギュメ寺を訪れたひとりの日本人は、荒廃しきったギュメ寺を見て驚く。初対面の僧から「どうか寺を支援してほしい」と頼まれたその日本人は、二つ返事で了承すると、家族や友人たちと共にギュメ寺の復興に尽力した。その日本人とは、関西の名門私立学校・清風学園の理事長で校長でもある平岡英信氏だ。

 平岡氏は1986年にギュメ寺を訪れて以来、毎年のようにギュメ寺を訪れて修行僧たちと交流を持っているという。この映画は2007年にギュメ寺を訪れる平岡氏に同行し、平岡氏と現地の僧たちの交流を追い掛けながら、平岡氏のギュメ寺に対する思いや、ギュメ寺で修行する僧たちの日常風景を取材したドキュメンタリー映画だ。映画の終盤にはダライ・ラマが登場してインタビューに答えるなど、内容的にはかなり盛り沢山。チベット仏教の寺がなぜか南インドにあるというのも驚きなら、そこにかなり大規模なチベット人難民たちのコミュニティがあるというのも僕はまったく知らなかった。ガンデンポタン(チベット亡命政府)はヒマラヤを仰ぎ見るインド北部のダラムサラにあるので、亡命チベット人たちのコミュニティも何となくその周辺に点在しているものだとばかり思っていた。僧院での修行生活の様子やいろいろな儀式など、この映画を観るまで知らなかったことは多い。知らないことを教えてくれるという意味で、この映画の意義は大きいと思う。

 しかし僕はひとつの映画作品として、この映画に物足りなさも感じる。それはこの映画が何か表面的なところに留まっていて、ここに登場する人たちの内面には踏み込めていないように感じるからだ。見るもの聞くものすべてが物珍しい「観光客の視点」で作られている映画であって、ここからは人間ドラマが見えてこない。平岡英信という人物への興味から生まれた映画なら、まずその人間像をもっと掘り下げてほしかったのだが……。

関係者試写会 公開未定
配給:ワオ・コーポレーション 宣伝:ワオ・ワールド
2010年|2時間|日本|カラー
関連ホームページ:http://www.wao-corp.com/gume/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:ギュメ寺は祈っている
関連DVD:西澤昭男監督
関連書籍:平岡英信
関連書籍:平岡宏一
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