連邦保安官テディ・ダニエルズは、相棒チャックと共にシャッターアイランドと呼ばれる孤島を訪れた。そこは島全体が、犯罪を犯した精神病患者を収容する病院になっている。テディがそこを訪れた理由は、警戒厳重なこの病院からひとりの女性患者が行方不明になったためだ。3人の我が子を殺した罪で島に送られたレイチェル・ソランドは、厳重な監視の目をかいくぐって鍵のかかった病室を抜け出し姿を消してしまった。病室に残されていた1枚の紙切れには「67は誰?」と走り書き。意味はまったく不明だ。テディは収容されている他の患者たちから事情聴取を始める。しかしその時、事件とはまったく無関係な質問をひとつ加えて相棒チャックを困惑させる。「アンドルー・レディースを知らないか?」。じつはこれこそ、テディが島を訪れた本当の目的。放火常習者だったレディースに自宅アパートに火をつけられ、テディの妻は殺された。その犯人であるレディースが今この島に収容され、「心に病を持つ気の毒な患者」としてぬくぬくと安楽に暮らしているのだ。
『ギャング・オブ・ニューヨーク』や『アビエイター』『ディパーテッド』に続く、マーティン・スコセッシ監督とレオナルド・ディカプリオのコンビ作第4弾。かつてはスコセッシの映画の看板役者と言えばデ・ニーロだったが、最近はディカプリオがスコセッシ映画の「顔」になっている。監督と俳優の関係が固定化することは、互いの才能や可能性を隅々まで掘り尽くすという意味でメリットがある。スコセッシはデ・ニーロなしに今のような大監督にはなれなかっただろうし、デ・ニーロだってスコセッシなしで今のような高い評価は得られなかったと思う。ふたりの関係は黒澤明と三船敏郎の関係に似ているかもしれない。黒澤は三船の後に仲代達矢と組んで「老境」に向かったが、スコセッシはディカプリオという若い相手と組んで新境地を目指すのだ。
映画はミステリーというより心理サスペンス。高所恐怖症的なシーンが何度も出てくるが、これはヒッチコックの『めまい』をだいぶ意識しているようだ。ディカプリオはスコセッシに薦められて『めまい』を観たという。物語の舞台設定が1950年代になっていることもあって、この映画のムードはヒッチコックの描く世界とだいぶ似通ってくる。しかしその世界観はヒッチコックよりずっと病んでいるし、映像表現もより直接的なものになっている。ヒッチコックの時代には精神病をこの映画のように描くことはできなかったし、この映画の主人公のような人物を主役にすることもできなかった。ハリウッドの倫理コードという制約があったからだ。
ミステリー部分については途中で何となく結末の察しがつくのだが、これはそうした謎解きよりもムードを楽しむ映画。主人公の最後の台詞に唸るが、この後味の苦さは『ミスティック・リバー』のデニス・ルヘインの原作が持つものか。
(原題:Shutter Island)