法の書

2009/10/22 TOHOシネマズ六本木ヒルズ(Screen 3)
イラン人の男が外国人を妻にしたことから起きるドタバタ喜劇。
第22回東京国際映画祭公式出品作品。by K. Hattori

Hounosho  女系家族中唯一の男性として一家の期待を集めるラーマンは、中年になっても良縁に恵まれることなく独身のまま。家族があれこれ心配して見合いのセッティングをしようとするが、本人にその気がないのだから話がまとまらない。女性に興味がないわけではないが、何が何でも今すぐ結婚しなければという思いもない。しかしそんな彼が、意外なところで「運命の女性」に出会ってしまった。会議のためベイルートに出張したラーマンは、ペルシャ語の通訳であるフランス系の美女ジュリエットと結婚してしまったのだ。彼女はもともとカトリックだったが、ラーマンと結婚するためイスラム教に改宗。彼の家族と共にテヘランで暮らし始める。

 レバノン人のクリスチャンだった彼女にとって、テヘランでの暮らしは見るもの聞くもの珍しいものだらけ。ところがもともと学究肌の彼女は、あっと言う間にコーランのエキスパートになってしまい、ラーマンの家族や近所の人びとを預言者の言葉を持ち出して批判するようになる。「預言者はこう言っています。なのにあなたがたは、なぜそれを守れないのですか?」。敬虔なイスラム教徒である家族たちは、これにぐうの音も出ない。しかし「こっちはもう何十年もイスラムなのに、なぜあんな新米にやり込められなきゃならないの!」とストレスも溜まる一方だ。ラーマン自身も「お前があんな嫁をもらったばっかりに!」という家族の嘆きと、「預言者の言葉を守らないなんて、あなたの家族はおかしいです!」という新妻の訴えの板挟み状態。だがそんな彼に、古くからの友人がひとつの策を授ける。それはジュリエットが多用するイスラムの教えを、ラーマンや家族が逆手にとるものだった……。

 イランは1979年のイラン・イスラム革命によって、国家の最高指導者に宗教指導者を置くイスラム共和制の国家になっている。国民生活はイスラム教がベースとなり、国民もほとんどが敬虔なイスラム教徒だ。だが伝統宗教というのはそれぞれの生活に根ざしている限り、宗教の教えがそのまま杓子定規に生活一般に適応されているわけではない。基本には宗教の教えがあっても、人びとの生活にはそれぞれの事情や都合というものがあるし、宗教的な理想がすべて守れるはずもない。これはイスラムに限らず、仏教でもキリスト教でも同じこと。しかしこうした宗教文化に慣れ親しんでいない人が後付けで宗教を学ぶと、その人はしばしば宗教的な教えを杓子定規に受け入れ実行しようとする。この映画はそのギャップを面白おかしく描いていて、観ているこちらは大笑いさせられてしまうのだ。

 モノローグの使い方などが秀逸で、主人公たちが出会ったばかりの頃の気持ちの決定的なすれ違いぶりや互いの勘違いぶりについクスクス笑ってしまう。爆笑ポイントも多い。イラン映画というとキアロスタミやマフマルバフの作品ばかりが日本で公開されるのだが、こういう楽しい映画もある。これは収穫でした。

(原題:Ketabe Ghanouin)

第22回東京国際映画祭 アジアの風/西アジア、中東
配給:未定
2009年|1時間34分|イラン|カラー
関連ホームページ:http://www.tiff-jp.net/ja/lineup/works.php?id=103
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:法の書
関連DVD:マズィヤール・ミーリー
関連DVD:パルヴィーズ・パラストウィー
関連DVD:ダリン・ハムセ
DVD:ネガール・ジャワヘリアン
ホームページ
ホームページへ