黄金花

―秘すれば花、死すれば蝶―

2009/10/14 シネマート銀座試写室
過去と現在、虚構と現実、死者と生者が交わる夢幻の映像世界。
木村威夫監督の長編第2作目。by K. Hattori

Ohgonka  戦前から映画美術の世界に係わり、戦後も多くの一流監督たちと仕事をしてきた日本映画界の長老・木村威夫の長編監督作第2弾。前作『夢のまにまに』も「老い」と「過去」を描く自伝的な内容の作品だったが、今回の映画もまた「老い」をテーマにした作品になっている。直接映画界について語っているわけではないが、出演者の顔ぶれがベテラン俳優ばかりなので、そこから間接的に往年の日本映画界のニオイが伝わってくる。

 物語の舞台は老人ホーム「浴陽荘」。主人公は植物学者の牧草太郎だ。彼はホームの裏山で、長年探し求めていながら見ることの出来なかった幻の花「黄金花」を発見する。だがそれは彼の目の前で一段と大きな光を放った後、忽然と姿を消してしまった。このことをきっかけに、草太郎は自分自身の過去をたどる心の旅を始める。

 映画は草太郎による黄金花の発見から始まり、黄金花の探求と心の旅、草太郎の死という物語の大まかな流れがある。だがこれは各エピソードを配置するための、大まかな枠組みのようなもの。実際には個々に独立した小さなエピソードが並行して進み、全体として多きなドラマがあるわけではない。こうしたエピソード並列型の映画の場合、各エピソードをつなぐ大きなストーリーラインを設定しておくことが多い。主人公の「目的地までの移動」をストーリーラインにするロードムービーなどが、その典型的な例だろう。ひとつのキーワードや謎を設定して、それを探求していくミステリー形もある。『市民ケーン』はそのパターンだ。エピソードに穴を空けて紐を通し、全体として1本の線上に並べていく数珠や串団子のような構成。しかし本作『黄金花』では、エピソード相互の結束がもっと緩やかだ。これは数珠や串団子ではなく、ばらばらの数珠玉を小鉢の中に放り込んでまとめているような形、団子を串に刺すのではなく、皿の上に盛り上げたような形かもしれない。全体としてはひとかたまりになっているのだが、どれが最初でどれが最後というわけではない。各エピソードは「線」で固定されることなく、立体的に積み上がっている。どこが正面でも裏側でもなく、どこが上でも下でもなく、すべてが混沌と混じり合っていて、しかも全体としてはひとつの秩序あるまとまりなのだ。

 「老い」をテーマにした作品はこれまでにも数多く作られてきたが、それらの映画では老人たちの「過去」と「現在」の葛藤や相剋が重要なモチーフになることが多い。試しに何本か老人が主人公の映画を思い出してみれば、これらのモチーフが出てこない方がむしろまれだということがわかる。本作『黄金花』はそれをとことんまで突き詰めた作品かもしれない。登場する老人たちの多くは、とうの昔に現役を退いているにも関わらず、役者、易者、質屋、板前、物理学者などと、過去の職業名で呼ばれている。人間は「今」を生きながら、じつは「過去」を生きている。

11月21日公開予定 シネマート新宿、銀座シネパトス
配給・宣伝:太秦
2009年|1時間19分|日本|カラー
関連ホームページ:http://www.airplanelabel.com/ougonka/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:黄金花/秘すれば花、死すれば蝶
関連DVD:木村威夫監督
関連DVD:原田芳雄
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