ディア・ドクター

2009/05/13 映画美学校第1試写室
村人に慕われる診療所の名医はじつは偽医者だった。
笑福亭鶴瓶がミステリアスな男を演じる。by K. Hattori

ディア・ドクター オリジナル・サウンドトラック  人口1500人のうち半分が老人という山あいの小さな村。無医村だったこの村の診療所に3年半前から住み込みで勤務し、村人たちから神様のように慕われていた医師が忽然と姿を消した。村人総出の捜索でも行方はわからない。警察も捜査に乗り出すが、そこで明らかになってきたのは、誰も予想していなかった意外すぎる事実。村で唯一の「医師」だった男は、じつは医師免許も勤務経験もない「偽医者」だったのだ。

 『蛇いちご』『ゆれる』の西川美和監督が笑福亭鶴瓶主演で描く、ミステリアスでコミカルでちょっと悲しいヒューマンドラマ。僕は前作『ゆれる』をじつは未見なのだが、今回の映画は監督のデビュー作『蛇いちご』に似ていると思った。『蛇いちご』も口から出任せで生きている詐欺師とその周辺にいる人々の物語だったし、最後は詐欺師が逃走して終わる。しかしそれよりこの映画に似ているのは、黒澤明の『赤ひげ』かもしれない。

 今でも損得勘定抜きで人々のために働く医者を「赤ひげ先生」などと呼ぶが、黒澤明の時代劇映画『赤ひげ』は、そんな医師のもとに長崎留学から帰ったばかりの生意気な医者の卵が研修医として勤務するようになるところから始まる。医者の卵は最初は赤ひげに反発しているが、やがて彼の人柄と医療に打ち込む情熱に共感し、研修期間が終わった後も彼のもとで働きたいと願うのだ。『ディア・ドクター』でも診療所で働く伊野医師(偽医師)は村人にとっての赤ひげ先生。物語は伊野のところに、医大を卒業したばかりの研修医がやってくるところから始まる。赤いスポーツカーで村にやってくる研修医・相馬(瑛太が演じている)の場違いさは、南蛮風のマントを肩にかけて小石川療養所にやってくる保本(演じていたのは加山雄三)の姿に重なり合うのだ。保本が赤ひげに感化されるように、相馬も伊野に感化されて「研修が終わってもここで働きたい!」と言い出す。しかし赤ひげは本物の医者だが、伊野は偽医者。ここで交わされる伊野と相馬の食い違った会話は、映画の中でもっとも笑いを誘うものであり、同時に伊野が苦しい胸の内を正直に吐露する悲しいシーンにもなっている。

 伊野はなぜ療養所を投げ捨てて逃げ出したのか? 映画はそれを伊野の優しさや誠実さに動機付けているように見える。「先生」と呼ばれ、「名医だ」「神様だ」と持ち上げられ、先生や名医を演じ続けなければならないプレッシャーに彼はもはや耐えられなかった。彼が名医であり続けたのは村人たちと共同の、いわば自作自演のたまものであって、彼がひとりで村人たちを騙していたわけではないことは、映画冒頭近くで老人に臨終を告げる場面や、中盤にある大きな山場である救急患者への対応などで描かれている。彼はいつだって逃げ出したかった。それでも逃げ出せなかった。それは彼が目の前の人たちに誠実であろうとしたからだ。彼は誠実に「名医」である自分を演じ続けた。

6月27日公開予定 シネカノン有楽町1丁目ほか全国ロードショー
配給:エンジンフィルム、アスミック・エース
2008年|2時間7分|日本|カラー|1:1.85|ドルビーSR
関連ホームページ:http://deardoctor.jp/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:ディア・ドクター
サントラCD:ディア・ドクター
主題歌収録CD:笑う花(モアリズム)
関連DVD:西川美和監督
関連DVD:笑福亭鶴瓶
関連DVD:瑛太
関連DVD:余貴美子
関連DVD:井川遥
関連DVD:香川照之
関連DVD:八千草薫
ホームページ
ホームページへ