MW

-ムウ-

2009/05/08 GAGA試写室
手塚治虫の同名コミックを玉木宏と山田孝之主演で映画化。
力は入っているが緻密さに欠ける。by K. Hattori

 巨大な橋やビルを造るには、緻密な設計図を作らなければならない。建造物が大きくなればなるほど、個々の部位の工作精度には緻密さが求められる。もし小さな部品にミリ単位の誤差があれば、最終工程の誤差は数メートルにまで広がって修復が不可能になってしまうだろう。映画作りにも同じようなことが言えると思う。小さな映画ならごまかしの利く細部の詰めの甘さも、大きな映画では積もり積もって大きな食い違いになる。映画はまとまりを失ってバラバラに崩壊してしまう。

 手塚治虫の原作を映画化した本作『MW -ムウ-』は、まさにそうした細部の甘さに満ちた映画だ。スケールの大きなアクション・ドラマを作ろうとしている意欲は大いに買うが、細部の描写に無理・無茶・無謀なものが多すぎて、映画を観る者に「そんな馬鹿な!」と思わせてしまう。もちろんスケールの大きな物語には常に「そんな馬鹿な!」と思わせる荒唐無稽さが備わっているものだが、それは次の瞬間「なるほど、そうだったのか!」という受け手の了解を得ながら先に進んでいくものだ。大きな嘘を付くには、細かなところで本当のことを言わなければ相手が納得してくれない。しかし本作は「そんな馬鹿な!」の後に「ウソでしょ?」「あり得ない!」「なんでそうなるの?」「いい加減にしろ!」という描写やエピソードばかりが延々続くのだ。

 映画なんてしょせんは嘘八百の絵空事だが、観客はせめて映画を観ている間だけでも、その絵空事を本当のことだと信じたいのだ。上手に嘘をつこうとする作り手側の思惑を察しながら、観客は自らの意思でその嘘にまんまと騙されるお人好しに成りすます。作り手のつく嘘とその嘘をあえて受け入れる観客の共犯関係の上に、映画というエンタテインメントは成立しているのではないか。観客は映画の嘘にわざと騙されている。だから多少のアラが見えても、それには目をつぶる。上手な嘘には喜んで騙されましょう。下手な嘘でも騙されてあげましょう。それが映画の観客としてのマナーかもしれない。

 しかし映画が観客の「騙されたい気持ち」ではカバーできないほど、明々白々な嘘を垂れ流し始めるとどうなる? 観客はとたんに白けてしまう。『MW -ムウ-』という映画にはそうしたシーンが何度もある。1度か2度なら目をつぶってもいい。どのみち完璧な映画なんて世の中にはないのだから。映画の嘘に酔いたい客は、多少水で薄めてある酒でも酔った振りをしてみせる。でも巧妙な映画の嘘を期待している観客に、頭から冷水をぶっかけるようなことを何度も繰り返されると、「いったいどういうつもり?」と言いたくもなるではないか。

 この映画のどこが悪いのか。まず脚本が悪い。この脚本にゴーサインを出してしまったプロデューサーも悪い。これじゃ監督や出演者がどれだけがんばろうと、努力は空回りするばかりだっただろう。

7月4日公開予定 丸の内ルーブルほか全国ロードショー
配給:ギャガ・コミュニケーションズ
2009年|2時間9分|日本|カラー|シネスコ|ドルビーデジタル
関連ホームページ:http://mw.gyao.jp/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:MW -ムウ-
サントラCD:MW
主題歌CD:MW ~Dear Mr. & Ms. ピカレスク~
原作:MW(手塚治虫)
関連DVD:岩本仁志監督
関連DVD:玉木宏
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