生き馬の目を抜くベンチャービジネスの世界で一儲けしたものの、ある日ふと自分の周囲を見渡して「もういいや」と競争から降りてしまった泊哲郎。祖父の四十九日法要で東京から故郷の北海道江差に戻ってきた彼は、会社に戻る気になれないまま港周辺をブラリ歩き。そこに「テッチンでない?」と声をかけてきたのは、高校時代の友人だった杉山由紀。彼女は地元の漁協で事務の仕事をしているという。20年ぶりの再会を祝して一杯飲んだ帰り道、「高校時代はいろんな夢があったよね」とお決まりの昔話と現状を憂えるボヤキ話。「よしわかった。俺が20年前の夢かなえるぞ!」と、哲郎はでヨットによる北海道無寄港一周の旅に出ることを宣言する。だが彼にとってその旅は、もうひとつ大きな意味を持つ旅だった……。
都会で傷ついた男が田舎で出会った人との交流を通して癒され再生していくという、きわめて使い古された設定の物語ではある。しかしこの使い古されくたびれた感じが、日常の中で月並みな挫折や気苦労に埋没しかけているダメな男女には相応しいのかもしれない。哲郎や由紀の抱えた倦怠は、特別な状況やキャラクターの中から生み出される特殊なものではない。若いつもりがいつの間にか中年に差し掛かったオジサンやオバサンたちが、おそらく誰しも抱えている「なんともならん日常」に対する倦怠感なのだ。一生懸命人生の中で輝きたいと思ってきたのに、気がついたら怠惰な日常に流されて、しかもそれを自覚しながら流れに逆らう元気も勇気も失っている。彼らは何か具体的な挫折があるわけじゃない。何か具体的な失望があるわけじゃない。何もないまま、その何もないということに達観してしまっている。自分自身の可能性を諦めてしまっているのだ。
何者でもない人間が、何者かになろうと右往左往するのが青春映画だ。この映画は人生の半ばで「何者か」になりかけながら結局はドロップアウトしてしまった主人公たちが、再び何者かになろうともがく物語。それは単に「青春よもう一度」というわけじゃない。なまじ一度は「何者か」になりかけていた彼らは、まっさらな気持ちで未来に踏み出していくことができないでいる。真っ白なカンバスに自由に絵を描ける高校生には戻れない。彼らの人生には、描きかけて放り出したままの絵が残っているからだ。それを一度白く塗りつぶして、もう一度新しい絵を描けるのか?
主人公たちがそれを可能にしているのは、ヨットによる北海道一周という「試練」を自分たちに課しているからだろう。水をくぐり抜けて生まれ変わるというのは欧米の映画にありがちな設定だが、この映画では文字通り「過去を水に流す」という意味が強い。車でヨットを追うヒロインと、海岸沿いに疾走するヨットを空撮で同じカットの中に納めたシーンが印象的だ。主人公たちは同じフレームには入ってない。でもふたりは確かに、そこでつながり合っている。
DVD:ジャイブ/海風に吹かれて
主題歌「ため息をつかせてよ」収録CD:僕なら(松山千春) 主題歌「ため息をつかせてよ」収録CD:ガリレオ(松山千春) 主題歌「ため息をつかせてよ」収録CD:起承転結9(松山千春) 関連DVD:サトウトシキ監督 関連DVD:石黒賢 関連DVD:清水美沙 (美砂) 関連DVD:上原多香子 |