目を涙で濡らしながら、モーテルの部屋から緊急救命に電話をかける男。「急いで救急車を寄こしてください。自殺した人がいるんです。それは……僕です!」。彼の名はベン・トーマス。彼はなぜ自殺しようとしているのか。なぜ自殺の直前に救急に電話をかけたのか。なぜ彼は、自殺しなければならないのか。物語はその少し前にさかのぼる……。
物語は主人公の謎めいた行動から始まり、その後も主人公の行動は不可解なまま推移し、映画の最後になってようやくすべての謎の答えが明らかにされるというミステリー形式。映画を観ているうちに何となく「答え」の輪郭は見えてくるのだが、かといって「答え」に結びつきそうなことを事前に語って、これから映画を観る人の楽しみを奪うことは避けたい。しかしながらこの映画は、ミステリーの答えが明らかにされればそれで観客の胸のつかえが下りて、なんとなくカタルシスが味わえるというものでもない。むしろ答えがすべて明らかになった後で、その向こう側にある別の「謎」がむくむくと姿を現してくる仕掛けになっている。
なるほど、主人公のやったことはわかった。そうした行動を取らねばならなかった理由も、とりあえずは理解できる。しかしそれで疑問がすべて解決するわけではない。おそらく世の中には、主人公と同じような境遇の人間が無数にいるはずだ。でも主人公と同じような行動を取る人はいない。なぜ主人公だけがそうした行動を取らねばならなかったのか。それがこの映画の最後に、観客に突きつけられる新しい謎だ。映画はこれを「感動」というオブラートに包んで、観客にそっと手渡す。だからこの謎の存在に、気づかない観客も多いと思う。でもそんな観客も、心の中ではきっと何か割り切れない奇妙な感情を抱え込んでいるはずなのだ。すべてが解決してもなお釈然としない、中途半端な気持ちだ。
主人公の行動は、思いつきとしては面白い。でもそれを実行できるかと言えば、ほとんどの人は実行なんてできないのだ。おそらくほとんどの人は、自分の決断を躊躇する。本当にそれでいいのかとためらい尻込みする。そして行動しなくてもいい理由を見つけて、結局は行動を断念するはずだ。でも主人公はそうはしなかった。彼は後戻りのできないところまで、自分自身を追い込んでいったのだ。
この主人公の姿には、イエス・キリストの「贖罪死」が重ね合わされている。『友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない』(ヨハネ伝15:13)というキリストの言葉が、主人公の行動から見え隠れするのだ。この映画は主人公が歩むヴィア・ドロローサ(悲しみの道)であり、各エピソードはその過程にある7つの留なのだ。(ちなみにエルサレムの本家ヴィア・ドロローサには14の留がある。)主人公は最後に復活するが、それを見届けるのは彼を愛した女だ。
理屈はわかる。でもやはり釈然としない。
(原題:Seven Pounds)
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