PLASTIC CITY

プラスティック・シティ

2009/02/05 ショーゲート試写室
オダギリジョーとアンソニー・ウォンがブラジルで激突。
物語の構造はわかりやすいが楽しくはない。by K. Hattori

 ブラジル・サンパウロの東洋人街リベルダーデで、街を仕切るボスとして君臨している中国人実業家ユダ。彼は義理の息子キリンと共に、ゲリラ的な偽ブランド品の製造販売ビジネスで巨額の利益を得ている。食うや食わずの無一文から出発したユダだが、今では大型の輸送船を所有し、街の目抜き通りにランドマークとなるショッピングセンターを建設するまでになった。だがそんな彼の地位は、台湾系資本の進出や政府による狙い打ち的な一斉取り締まりによって、じわじわと侵食されていく。恋人と街を出ようとしていたキリンは、父を守るため敵と戦おうとするのだが……。

 筋立てを手短に言うなら「ブラジルのアジア系マフィアと対立勢力の抗争」ということになるのかもしれないが、映画には派手なドンパチやアクションがあるわけでもない。主人公たちは犯罪者とされる人々だし、映画の中には具体的な犯罪(偽ブランド品の販売や殺人など)も描かれているが、さりとてこれを「犯罪映画(クライム・ムービー)」と言ってしまうと、その言葉から受ける印象と映画の温度差に戸惑うことだろう。

 この映画の本質は、アンソニー・ウォン演じる中国人ユダと、オダギリジョー演じる日系人青年キリンの疑似親子関係が崩壊していく過程にある。ユダに対するキリンの愛憎入り交じった感情、ユダから離れたいと願いつつ決して離れることができない心理的葛藤が、この映画の中心にあるものなのだ。そのため、それ以外の人物はこの映画の中では影が薄い。ユダの愛人も、親子のライバルとなる台湾人も、キリンと街を出ようとするブラジル人の恋人も、この映画の中では与えられた「機能」を演じるための小さな脇役に過ぎない。それどころか「ブラジルのアジア系マフィアと対立勢力の抗争」という物語の枠組みそのものが、「親子の葛藤」というドラマを盛り込むための器という機能を与えられているだけなのだ。

 この映画からクッキリと浮かび上がってくるのは、物語の機能や構造という骨組みだ。しかし骨組みだけでは映画が動かない。そこに血や肉が通って始めて、映画はひとつの生き物として動き始めるはずだ。しかしこの映画に、そうした映画としての豊かさが感じられない。神話を思わせるような力強い物語の構造を作りながら、そこに血の通ったキャラクターが配置されていない印象だ。比較するのも申し訳ないのだが、例えば「犯罪組織のボスである父親に反抗していたにも関わらず、父親の危機に際して敵と戦うことを選ぶ息子の物語」なら、フランシス・コッポラの『ゴッドファーザー』があるではないか。本作はそのブラジル版、アジア版になり得る素材だったかもしれないのだ。

 「まがい物」というのがこの映画のもうひとつのテーマのようだが、これも映画の中でうまくこなれていない。全体に説明不足で戸惑うことの多い映画だが、だからといって説明すれば面白くなるような映画でもあるまい。

(原題:Dangkou)

3月14日公開予定 ヒューマンとラストシネマ渋谷、新宿バルト9ほか全国順次ロードショー
配給:ビターズ・エンド 宣伝:メゾン
2008年|1時間35分|香港、香港、ブラジル、日本|カラー|ビスタ|ドルビーデジタル
関連ホームページ:http://www.plasticcity.jp/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:プラスティック・シティ
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