アバンタイトルで犬も食わない夫婦ゲンカを15分も見せるあたりで、最初からかなり困った感じがしていたのだが、その後も映画のあちこちで主人公夫婦のイチャイチャアツアツぶりをたっぷり見せつけられて、フィクションとはいえ観ているこちらが恥ずかしくなってしまった。愛情のこもった男女のコミュニケーションというのは、当事者にとっては真剣で切実なものでも、他人から見れば「ケッ! 勝手にしやがれ」というものなのだ。だからこそ、映画はそれを見せるために様々な手練手管を持ち出してくる。状況設定や会話の組み立てに脚本家は知恵を絞り、監督はそれをいかに魅力的な絵にするかに心を砕く。しかしこの映画は、そのあたりの認識が少し甘い。「私たちって、こんなに幸せ!」という状況を見せられても、人が同じように幸せになるわけじゃない。「それがどうした!」と言われるのがオチなのだ。これは逆も同じこと。「私はこんなに悲しいの」という状況を見せられても、それで人が同じ悲しみを分かち合えるわけじゃない。これもまた「それがどうした!」という話になってしまうのだ。
病気で急死した夫から、残された妻に向けて消印のない手紙が届くようになる話だ。原作はアイルランドの若い女性作家セシリア・アハーンの同名小説。映画は物語の舞台をアイルランドからニューヨークに移しているが、亡くなる夫をアイルランド人に設定したり、映画中盤からヒロインにアイルランドを旅行させたりして、原作とその読者に配慮している。ただし夫を演じるジェラルド・バトラーは、アイルランドではなくスコットランドの出身。もうひとり印象的な役回りで登場するジェフリー・ディーン・モーガンに至っては、シアトル出身という生粋のアメリカ人だ。そのためというわけでもないだろうが、この映画のアイルランドの描写は観光案内のように美しい景色と音楽で成立しているのだが、それが結婚式で新郎新婦が着る貸衣装のように見えてしまう。それなりにきれいで立派。でもそこに日常性が感じられない。生活のにおいがまったくない。
「いい話」ではある。それは間違いない。登場人物たちはみんな善人で、友人や家族のことをいつも心に留めて、思いやりを持って生きている。「いい話」に飢えている人にとっては、一服の清涼剤になる映画だろう。でも「いい話」が「いい映画」になるとは限らない。僕はこの映画に、映画作品としての魅力をあまり感じることができなかった。
僕にはこの「いい話」が、きれい事に見えてしまう。人がひとり死に、周囲の人びとがその死を乗り越えていくという物語は普遍的なものであるはずなのに、ここには誰もが繰り広げているはずの生活の生々しさが感じられない。主人公夫婦は10年近く生活を共にしてきたパートナーのはずなのに、この映画は「愛する人」を失ったとは嘆いても、「生活の同伴者」を失った喪失感が描き切れていないように感じる。
(原題:P.S. I Love You)