スルース

2008/01/30 松竹試写室
アンソニー・シェーファーの戯曲「スルース」を再映画化。
男二人の息詰まる対決にハラハラ。by K. Hattori

 1970年に初演された「探偵 スルース」は、『フレンジー』や『ナイル殺人事件』の脚本家でもあるアンソニー・シェーファーの代表作。2年後にはシェーファー自身の脚色で映画化され、主演のローレンス・オリヴィエとマイケル・ケインはアカデミー賞候補にもなっている。その作品が、今回新しい脚本とスタッフで再映画化された。亡きシェーファーの原作を脚色したのは、劇作家であり、脚本家であり、ノーベル賞受賞者でもあるハロルド・ピンター。監督はケネス・ブラナー。今回の映画には、72年の映画に主演したマイケル・ケインが再度出演している。ただしその役は、かつてオリヴィエが演じた老作家役。以前ケインが演じた作家の妻の愛人役は、本作でプロデューサーも兼ねているジュード・ロウだ。

 映画は全体がふたつのパートに別れている。前半は老作家が自分の家に妻の愛人を呼び出し、彼に家に保管してある宝石の強奪を持ちかける話。後半はその数日後、老作家の家で殺人が行われたとして地元の刑事が訪問してくる話。物語はほとんど観客の目の前でリアルタイムに進行していくのだが、この前半と後半の間には観客の目に見えない省略された部分があり、それが刑事の訪問によって大きなサスペンスを生み出すことになる。観客の観ていない場所で何が起きたのか? 老作家は何を隠しているのか? 刑事はどこまで真相を知っているのか?

 物語はここからさらに二転三転していくが、ミステリー映画のあらすじをあまり詳細に語るのも野暮だろうからやめておく。映画の見どころは男ふたりが互いの意地とプライドを賭けてゲームを仕掛ける部分であり、そこで見られる丁々発止の駆け引きや鍔迫り合いには見応えがある。少々舞台劇のニオイが強く感じられるところもあるが、これはむしろ作り手が仕込んだ意図的なものだろう。この映画の目的は「舞台劇」の雰囲気を映像空間の中に再現することであり、わざわざ舞台のにおいを消して「映画作品」のリアリズムを目指すことなど考えられていないように思える。この映画に似ているのは、例えば川島雄三の『しとやかな獣』だろうか。限定された室内空間の中で、カメラは縦横無尽に動き回る。

 映画の中では主人公たちの間でゲームが2度行われ、最初の勝負は老作家の完勝、2度目のゲームは妻の愛人の勝ちとなり、最終ゲームで決着が付くという流れになる。しかし映画を観ていて、僕は2度目のゲームの判定を疑問に思うのだ。最初のゲームで若い男の出方をすべて読み切っていた老人が、あそこまで若者に翻弄されてしまうのは不自然ではないだろうか? 老人は若者の逆襲を予想していたはずだし、それを期待する気持ちがあったのかもしれない。すべては老作家の手のひらの上。そもそもこのゲームは、老作家にとって文字通りのホームゲームなのだ。

 老作家が本当は何を考えていたのか? それがこの映画の最大のミステリーだ。

(原題:Sleuth)

3月公開予定 シネスイッチ銀座、新宿バルト9ほか
配給:ハピネット 宣伝:ザジフィルムズ
2007年|1時間29分|アメリカ|カラー|スコープサイズ|ドルビーSRD
関連ホームページ:http://www.sleuth.jp/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:スルース
DVD (Amazon.com):Sleuth
DVD (Amazon.com):Sleuth [Blu-ray]
サントラCD:SLEUTH
サントラCD:Sleuth
原作戯曲:Sleuth (anthony shaffer)
関連DVD:ケネス・ブラナー監督
関連DVD:マイケル・ケイン
関連DVD:ジュード・ロウ
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