フィクサー

2008/01/10 シネマート試写室
ジョージ・クルーニーが主演した異色の法曹サスペンス。
サスペンス映画としては致命的な問題も。by K. Hattori

 「サスペンスとサプライズ(不意打ち)を混同してはならない」というのは、フランソワ・トリュフォーがヒッチコックにインタビューした「映画術」という本の中に出てくる有名な言葉だ。ヒッチコックが言うには、テーブルの下で爆弾が突然爆発しても、そこにサスペンスはない。そこにある不意打ちによる驚きは、ほんの一瞬しか持続しないだろう。しかしテーブルの下に爆弾があることをあらかじめ観客が知っていれば、爆弾が炸裂するか時限装置が解除されるまでの間、観客は強烈なサスペンスに引き込まれる。サスペンスは映画の中の登場人物がまだ知らない危険を、観客にだけそっと伝えることによって生み出される。

 しかし『フィクサー』の中で観客を最初に仰天させるのは、サスペンスではなくサプライズだ。これには驚く。びっくり仰天する。しかしヒッチコックが言うように、この衝撃は短い時間しか持続しない。映画はここから回想シーンになり、今度はこのサプライズがなぜ生じたのかを順序立てて観客に教えてくれる。しかしここにはやはり、サスペンスがない。ここでは観客が「危険」の存在をあらかじめ知らされていると同時に、その先にある「危険」がいかなる結果を生み出すかもあらかじめ知らされているからだ。結果としてこの一連のシーンは、いかなるサスペンスも生み出していないことになる。

 もちろん映画の作り手は、そんなことは先刻ご承知の上でこの映画を作っているに違いないのだ。この映画が観客に伝えようとしているのは、「サスペンス」ではない何かだ。それは何だろうか? それはひとりの男が、新しく生まれ変わるプロセスなのだ。映画冒頭の「サプライズ」は、男の心が発した新しい人生への「産声」。そこに至る長い長い時間は、この男が必死に新たな生に向かってもがく「胎動」と「陣痛」のようなものだろう。長い闇を抜けて、男の顔は最後にようやく晴れ晴れとした表情を取り戻す。

 しかし男にとって、この新しい生は苦いものになっている。彼はまだ闇の中にいたとき、双子の兄と一緒にいた。しかしその兄は、男の命と引き替えに命を落として闇の中に消えていく。この兄もまた、闇の世界から抜け出して光の中に生まれ変わろうともがいていた。男はもともと闇を抜け出す気はなかったが、この兄の死をきっかけに、半ば強引に光の中に引きずり出されていく。いや、闇の世界から排除されたのかもしれない……。

 主演のジョージ・クルーニーは、この映画の中で精彩のない表情をしていることが多い。これは役柄の問題なのだが、結果として主人公の印象が薄くなっているのは確かだろう。それに対して、トム・ウィルキンソンとティルダ・スウィントンの大車輪の演技は凄まじい。主人公も含めて、彼らはもともと全員が同じ穴のムジナだ。ひとりはその穴から脱け出し、ひとりは穴からの脱出に失敗して命を落とし、もうひとりは穴の底で自滅する。

(原題:Michael Clayton)

4月12日公開予定 みゆき座ほかTOHO系全国ロードショー
配給:ムービーアイ 宣伝:樂舎
2007年|2時間|アメリカ|カラー|シネマスコープ|ドルビーデジタル、DTS、SDDS
関連ホームページ:http://www.fixer-movie.com/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:フィクサー
サントラCD:Michael Clayton
シナリオ:Michael Clayton: The Shooting Script
関連DVD:トニー・ギルロイ監督
関連DVD:ジョージ・クルーニー
関連DVD:ティルダ・スウィントン
関連DVD:トム・ウィルキンソン
関連DVD:シドニー・ポラック
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