池間了至(いけまりょうじ)の同名小説を、第3回インディーズムービーフェスティバル入選経験のある藍河兼一が監督したインディペンデント映画。アングラバーを経営する青年ユキヒロが、店に出入りしているヒノコという若い女に出会い、彼女に翻弄されていく様子を描く。
映画の中では冒頭とラストシーンに通常撮影の部分があるのだが、それ以外は「デフォメ」と称する静止画像の細かな連続だ。「デフォメ」は「デジタル・フォトメーション」の略。デジタル・スチルカメラで撮影した膨大な量の写真画像を加工した上で、コンマ数秒ごとに並べて動画風の映像を作り、そこに音声や音楽を乗せていく。画像はあくまでも静止画なので、組み合わせられた音声とシンクロすることはない。これが観る側に、リアルでありながらリアルでない、独特の世界観や対象との距離感を経験させるのだ。(ただしシーンによっては、痔の薬のCMみたいに見えなくもない。痔にはボラギノール♪ 奥にチューッと注入なのだ。)
スチル写真を並べて映画を作るというアイデアは、1962年にクリス・マルケルが監督した短編映画『ラ・ジュテ』を連想させる。あの映画もほとんどがナレーションで進行する作品だったが、この『アディクトの優劣感』もデフォメの部分は主人公のモノローグで進行する。これは主人公ユキヒロの告白であり、自殺した彼がパソコンの中に残した遺書という設定。回想シーンは完全にユキヒロ個人の見た目視点で描かれているため、この一連のシーンの中にユキヒロ自身の姿は登場しない。 映画を観る側はユキヒロの告白に耳を傾け、彼の視点と完全に同化しながらも、彼自身の姿を自らの視界に入れられないという点でフラストレーションを感じるはずだ。またこの映画は、撮影が台湾で行われている。東京のどこかという設定ではあるが、登場する風景はすべて台湾のもの。看板などの表記は、デジタル処理で日本語に差し替えているのだ。こうした作られた「自称・日本」の風景も、観客に対象との距離感を感じさせるはずだ。
こうした違和感は、自殺したユキヒロの告白がどこまで真実なのか?という疑問を生み出すことになる。そもそもここに描かれているユキヒロとヒノコのなれそめやその後の関係は、すべてユキヒロが書き残した遺書めいた手記の中に書かれているだけのものだ。そこに書かれた内容の真実性は、誰にも確認されていない。ユキヒロは文学批評が言うところの、「信頼できない語り手」なのだ。手記の中でのユキヒロの饒舌さも、内容の信憑性に疑問を生み出す理由となっている。ここで事実とされているのは、ユキヒロが自ら吸引した薬物の過剰摂取で死んだということだけ。残された手記は真実の告白なのか? それとも肥大した自意識が生み出した妄想なのか? 事実とはまったく無関係な小説なのか? それは誰にもわからない。おそらくユキヒロにさえ……。
DVD:アディクトの優劣感
原作:アディクトの優劣感(池間了至) 関連DVD:藍河兼一監督 関連DVD:沢村純吉 関連DVD:青山華子 関連DVD:シュ・レイアン 関連DVD:吉武優 関連DVD:渡部遼介 関連DVD:石井あす香 |