僕たちの舞台

2007/12/03 映画美学校第1試写室
ストラスブール国立演劇学校の生徒たちの生き生きとした会話。
虚構の中にこそ本物が宿る。by K. Hattori

 フランス北東部の中心都市ストラスブール。古い兵舎を改造した稽古場に、若い俳優の卵たちが集まってくる。ストラスブール国立演劇学校の生徒たちだ。彼らはここで、新しい演目について討論を始める。テーマはストラスブール。それぞれがアイデアを持ち寄るが、なかなか一本に絞り込めない。決定的な方針が決まらぬままに、時間ばかりが過ぎていく。だがその時間の、何と楽しいことか!

 ニコラ・フィリベール監督はこの映画を、半ばフィクションのように、そして半ばドキュメンタリーのように撮っている。大まかな設定としては「15人の学生たちが一晩かけて新しい劇のアイデアを練る」というものがあり、この「一晩かけて」という部分がおそらくは最大のフィクションなのだろう。実際には何日かかけて撮影したものを、映画はまるで一晩に起きたことのように編集している。しかし学生たちがひとつのテーマをもとに即興で芝居をしたり、演劇論や演技論を戦わせていたのは事実のようで、その部分はまるきりのドキュメンタリーでもある。ただしあまりに洗練されたアイデアや演技は、一晩のうちに即興で芝居を作るという映画の設定を損ないかねないために容赦なくボツにしてしまったようだ。

 この映画が描こうとしているのは、若者たちが終わりのない模索を続けることそのものだ。ひとつの劇を作るという目的はあっても、その目的は抽象的で、人によってどんな受け止め方でもできてしまう。ここには漠然としたテーマだけ与えられているものの、そこに到達して何かを完成させることは求められていない。結論のでないまま、ああでもない、こうでもないと意見を交わし、実演してみせ、それをまた壊して新しいものにチャレンジしていく。なんということだ。これこそ、青春を生きる若者たちの姿そのものではないか! この映画はドキュメンタリーの中にフィクションの要素を取り込むことで、演劇学校の稽古場で繰り広げられる青春群像劇を見事に切り取っているのだ。

 映画の中に小さなフィクションを取り込むことによって、ここではドキュメンタリー映画が持つ「見る・見られる」と「見せる・見せられる」との相互関係が、よりダイナミックなものになっている。どんなドキュメンタリーにも、取材されている被写体がカメラの前で無防備に自分自身の生の姿をさらすだけでなく、より積極的にカメラの前で期待されている自分自身を演じてみせる瞬間があるものだ。それは無意識の内に演じられているドキュメンタリーの中の「やらせ」であり、取材する側と取材される側が無言の呼吸で映画に持ち込む「虚構」でもある。

 この映画は「最初に簡単な設定ありき」から出発することで、そうしたドキュメンタリー映画の虚構性を超越してしまう。映画を観ていると、見ているこちらがまるで一緒にその場にいるような生々しさを感じるのはそのためだろう。

(原題:Qui sait?)

2008年正月第2弾公開予定 銀座テアトルシネマ
配給:バップ、ロングライド 宣伝:ムヴィオラ
1998年|1時間46分|フランス|カラー|ドルビーSRD
関連ホームページ:http://www.nicolas-movie.jp/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:僕たちの舞台
関連DVD:ニコラ・フィリベール監督
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