トゥヤーの結婚

2007/11/19 松竹試写室
ケガで働けなくなった夫のため再婚を決意する妻の物語。
ベルリン映画祭グランプリ受賞作。by K. Hattori

 砂漠化が進む中国の内モンゴル自治区。事故で足が不自由になった夫の分まで働きながら、夫と子供たちのいる家族を支えているトゥヤーの生活は苦労の連続だ。妻を見かねた夫のバータルは、彼女に離婚を切り出す。自分だけでも彼女から離れれば、それだけトゥヤーの生活が楽になるだろうという気遣いからだ。悩んだ末に、トゥヤーはこの申し出を受け入れる。彼女が選んだのは、自分と家族を養ってくれる男と再婚すること。だがその条件は、別れた夫バータルが自分や子供たちと同居することだった。

 映画の冒頭はトゥヤーの結婚式から始まる。彼女の子供がよその子に「お前のうちには父ちゃんがふたりいる」とからかわれてケンカになることから、その後の物語でトゥヤーの行動の中心となる「別れた夫を連れての結婚相手探し」が成功することは、映画の最初に明らかにされているわけだ。では彼女はいったい、誰と結婚するのだろう? この映画は結婚式を映画の冒頭に持ってくることで、そんなミステリーを観客に投げかけて物語を引っ張っていく。

 これはまるでのどかで牧歌的な、おとぎ話にも似た物語に見えたりもする。再婚を決めたトゥヤーのもとに、次々に結婚を申し込む男たちが現れる場面は「かぐや姫」のようではないか。特に石油成金の幼なじみが、十何年思いを寄せていたというトゥヤーに結婚を申し出るあたりなんぞは、観ていてもついニコニコしてしまうエピソードだ。しかし忘れてはならないのは、これは千年以上前(平安時代)のおとぎ話ではなく、21世紀初頭の内モンゴルという現実の世界を舞台にしたリアリズムのドラマだということ。そこに描かれる物語がいかにおとぎ話めいていたとしても、それを成立させているのは容赦のない「貧困」なのだ。トゥヤーが自分の働きだけで家族を食べさせていけるなら、彼女は離婚も再婚も考えなかっただろう。しかし貧困がそれを許さない。家族が食べて行くに、トゥヤーは愛する夫と別れて別の男の妻にならねばならない。

 おとぎ話などというものは、経済的に豊かな社会や、社会保障が完備されている世界では成立しないのかもしれない。例えば今の日本では、トゥヤーの物語は成立し得ないのだ。この物語を成立させているのは、日々砂漠化が進行していく内モンゴルの荒涼とした風景であり、人々が伝統的な生活を捨ててそれまでの共同体が離散して行く社会変動の現実なのだ。映画はその中に人々の日常的な喜怒哀楽を豊かに描き出して、一篇のおとぎ話に仕上げる。トゥヤーが井戸の底でひとりの男のプロポーズを受け入れるシーンの美しさは、おそらく映画を観た人すべての心に深く刻まれるはずだ。

 しかしこの映画は最後に再び、観客を厳しい現実へと連れ戻す。この映画は賑やかな婚礼の場面で終わるが、これはハッピーエンドではない。最後にふと見せるトゥヤーの表情が、それを物語っている。

(原題:図雅的婚事 Tuya's Marriage)

2008年お正月第2弾公開予定 Bunkamuraル・シネマ
配給:ワコー 配給・宣伝:グアパ・グアポ 宣伝強力:スローラーナー
2006年|1時間36分|中国|カラー|アメリカンヴィスタ|ドルビーSR
関連ホームページ:http://tuya-marriage.jp/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:トゥヤーの結婚
関連DVD:ワン・チュアンアン監督
関連DVD:ユー・ナン
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