ニューヨークで歯科医をしているアランは、いつものように渋滞に引っかかった車の中から、学生時代ルームメイトだったチャーリーの姿を見かける。かつては彼も優秀な歯科医だったが、9.11テロで妻子を失って以来音信不通になっていたのだ。後日、偶然街で再会したふたりだったが、チャーリーはアランのことを知らないと言う。これは他人のそら似なのか。それともチャーリーは事件のショックで、記憶喪失にでもなったのだろうか……。
アダム・サンドラーとドン・チードル主演のヒューマンドラマで、監督・脚本はケヴィン・コスナー主演の『ママが泣いた日』のマイク・バインダー。アダム・サンドラーにしては珍しいシリアス・ドラマだが、記憶と感情を心の奥底に封印した男がかつての友人に出会い、少しずつ心の内側を表に浮かび上がらせていく様子を細やかに演じている。厚い壁に塗り込まれたまま息を潜めていた感情の渦が、壁にできた小さな亀裂から少しずつ外に流れ出し、やがて巨大な奔流となって外にほとばしる。サンドラーが自分の過去を突然語り始めるシーンは、「語り」と「表情」の力だけで観客の視点をスクリーンに釘付けにしてしまう名場面だ。
サンドラー扮するチャーリーは9.11テロで妻子を全員失っているのだが、映画の中では「9.11」やそれに類する言葉はほとんど発せられていないし、その話題になったからといって当時の記録映像をインサートするようなこともしていない。登場人物たちは9.11の犠牲者を「飛行機に乗っていた人」と呼び、犯人たちを「外国から来た悪魔」と呼ぶだけだ。映画の中で9.11事件は常に、少し回りくどい表現でそれと察せられるように表現される。こうして事件について直接の明言を避ける態度は、家族やその死についての記憶を厳重に封印してしまったチャーリーの姿と重なり合う。
映画にはニューヨークの風景がじつに美しく描かれている。真冬の凍てついた空気を切り裂いて、エンジン付きのキックボードが滑るようにビル街の底を走り抜けていくオープニングの素晴らしさ。しかしこの街に行き交う人々は、その心の中に大きな空洞を抱え込んでいる。この街には、本来ならあるべき何かが欠けてしまっているのだ。その何かをどうやって埋めればいいのか、誰にもわからない。人々はその空洞の周囲を、空洞そのものにはあまり近寄らずにぐるぐると回り続けている。
これはテロで失なわれた世界貿易センターだけではない。貿易センターはこの街の人々が抱えた喪失感の象徴なのだ。社会的には成功して円満な家庭に恵まれているかに見える歯科医のアランも、その彼のもとに押しかけてトンでもない要求を突きつけるドナも、心の中の欠落感や寂しさを、何かで埋め合わせようと必死にもがいている。人々がチャーリーに係わらずにいられないのは、彼の中に自分自身の欠落感や寂しさを見てしまうからなのだ。
(原題:Reign Over Me)