武士の一分(いちぶん)

2006/10/25 松竹試写室
藤沢周平の「盲目剣谺返し」を山田洋次が映画化。
盲目の侍を木村拓哉が好演。by K. Hattori

 『たそがれ清兵衛』(02)と『隠し剣鬼の爪』(04)に続く、藤沢周平原作、山田洋次監督脚本による本格時代劇第3弾。このシリーズは今回で完結するようで、山田監督の次回作は野上照代の「父へのレクイエム」を映画化した『母(かあ)べえ』になる。さて今回の『武士の一分』だが、ここにはこれまでの2作品になかった要素が幾つかある。その中でも特に大きな違いのひとつは、主人公が妻帯者に設定されていることだ。藩主へのお目通りもかなわぬ下級武士ではあるが、役職はお毒味役という城内でのお勤め。過去2作品の主人公たちに比べれば、暮らし向きにもずっとゆとりがある。

 過去の2作品でも、主人公とその妻となる女性たちの関係は、物語の中の大きな要素のひとつになっていた。しかしそれらはどれも、映画の「第2のエピソード」だった。だが今回の映画では、主人公と妻の関係こそが物語の中心にある。当初山田監督が準備していたこの映画のシノプシスには、タイトルとして『愛妻記』と記されていたそうだ。題名が『武士の一分』となった映画も、主人公と妻の愛情物語が物語の中心軸になっていることは変わらない。映画導入部は夫婦の会話で始まり、映画の最後も夫婦の会話に終わる。もちろんその間には数々の波瀾があるわけだが、映画全体を貫き通すテーマは夫婦愛なのだ。

 こうした夫婦の関係が弱みにつけこむ卑劣な男の手によって汚されたとき、主人公は毅然として相手の男に復讐することを誓う。主人公は自らの意思で剣を手にとり、憎むべき敵に立ち向かうのだ。過去2作品でも映画終盤のチャンバラは大きな見どころだったが、そこでは今回の映画のように主人公が自らの意思で戦ったわけではない。藩の上役からの命令で、主人公は止むなく戦いたくもない相手と剣を交える羽目になるというのが、過去2作のチャンバラだ。だが今回の映画で描かれるのは、主人公が自らの意志で敵に果たし状を叩きつける純然たる私闘となっている。

 主人公の内的葛藤や憤りが頂点に達したとき、感情の爆発は剣を振る暴力的表現となってほとばしる……。こうした戦いの方が「チャンバラ時代劇映画」では普通なのだが、これまでの2作品で、山田監督はあえてそうした普通のチャンバラ劇を避けてきた。主人公は戦いたくないのだ。でも戦う。普段顔さえ合わせたことのない「お上」の命によって、憎くもない相手と刃を交える。だが今回の映画はそうではない。これはいわば、昔ながらの正しい剣劇だ。

 盲目の剣士が相手の気配を読んで敵を倒す。これはまるで『座頭市』ではないか。過去2作で薄暗い室内や明け方の決闘を描いてきた山田監督は、今回の映画で開けた河原での白昼の決闘を描いた。これもまた『座頭市』シリーズなどによくあるパターンだ。主演に木村拓哉というスターを招いたことも含めて、この映画からは古きよきチャンバラ時代劇映画へのオマージュが感じられる。

12月1日公開予定 丸の内ピカデリー2ほか全国松竹東急系
配給:松竹
2006年|2時間1分|日本|カラー|ヴィスタサイズ|ドルビーデジタル
関連ホームページ:http://www.ichibun.jp/
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