水の花

2006/06/14 映画美学校第2試写室
突然現れた母と異父妹に戸惑う少女の心の揺れ。
淡々としたカメラ目線が恐い。by K. Hattori

 中学生の美奈子は父とふたり暮らし。母は美奈子がまだ小さな頃、家族を捨てて別の男のもとに去った。この出来事は、父と娘にとって今も大きな心の傷として残っている。ところがある日のこと、美奈子は同級生から母が町に戻っていると聞かされる。母は男と離婚し、男との間に生まれた娘・優(美奈子にとっては父親違いの妹)を連れてすぐ近くの町営団地で暮らしているらしいのだ。美奈子は母の暮らすアパートを訪ね、遠くからそっと母と優の姿を観察する。それから数日後、美奈子は町で優の姿を見つけて跡をつけ、言葉巧みに彼女を誘って遠い海辺の町へと出かける……。

 自主製作映画『鳥籠』で第15回PFFスカラシップの権利を獲得した、木下雄介監督の長編映画デビュー作品。最近は日本でも離婚する家庭が増えて、ひとり親の家庭や再婚家庭も珍しいものではなくなっている。この映画に登場するような家庭はどこにでも存在するだろうし、この映画の主人公のような子供も無数に存在するに違いない。この映画は特別な誰かを描いた映画ではない。我々のごく近くにいる、ごく普通の少女たちの物語なのだ。

 映画は少女の視点で語られている。しかしこの映画で彼女たち以上に傷ついているのは、じつは彼女たちの親であるようにも見える。美奈子の父・圭介の弱さ。そして町に戻ってきた母・詩織の弱さ。彼らは自分たちの選んだ生き方によって子供が傷ついたことに、引け目や負い目を感じている。子供に対する遠慮がちな態度と、卑屈にも見える迎合。それがかえって、子供をより傷つける原因にもなっている。なんとみっともない姿だろうか。しかし彼らも、それは十分にわかっているのだ。でもその生き方を変えられない。彼らは冷酷でも自分勝手でもない、優しい人間たちだ。しかし彼らは弱い。弱い人間こそ、周囲に意地を通し、強情を張ってしまう。美奈子と優は、そんな父や母に反抗して家を飛び出したとも言える。

 映画はクローズアップを廃して、基本的には人物のフルショットで映像をつないでいく。カメラと人物の距離感は、声をかければ届くけれど、手を伸ばしても届かない距離を保つ。これがじつに効果的なのだ。人物の表情の細やかな部分は映画からうかがえない。彼らが本心では何を考えているのか、何を思って台詞を語っているのか、クローズアップから心の底を覗き込むようなことをしない。むしろこの距離感は、観客の心の動きを登場人物に投影しやすい距離なのだ。映画を観て、観客は何かしら心を動かされる。そしてその感情を、映画の中の登場人物の中に投影する。この映画が面白いのは、そこに観客自身の生の感情が映し出されているからだ。観客は映画を観ながら、美奈子になり、優になり、圭介になり、詩織になる。そこにいるのは、我々自身なのだ。映画の最後、美奈子が初めてカメラに見せる表情に、観客は何を見るだろうか。

8月上旬公開予定 ユーロスペース
配給:ぴあ、ユーロスペース 宣伝:テレザ
2005年|1時間32分|日本|カラー
関連ホームページ:http://www.pia.co.jp/pff/mizunohana/
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