46億年の恋

2006/05/17 シネマート六本木1
梶原一騎と真樹日佐夫の原作を幻想的に映像化。
主演は松田龍平と安藤政信。by K. Hattori

 正木亜都の小説「少年Aえれじぃ」を、三池崇史監督が映画化した作品。正木亜都というのは梶原一騎と真樹日佐夫兄弟が共同で作品を書く際のペンネームで、「少年Aえれじぃ」は梶原一騎が晩年に口述筆記した物語の断片を、弟の真樹日佐夫がまとめたものだと、この日舞台挨拶に立った三池監督が説明していた。脚本はNAKA雅MURA。

 刑務所の中で起きた殺人事件を、2人の刑事が捜査していくというのが一応の物語。刑務所に押し込められた男同士の愛憎関係が、もつれて絡み合い、事件の真相は不可思議な迷宮へ……、という具合に物語は転がっていく。しかしこの映画は、そんな「物語」にそもそもまったく興味がなさ気だ。舞台となる刑務所も、登場人物たちのキャラクター造形も、そして映像も、我々が知る実際の「刑務所」からは遠く離れた虚構の情景になっている。刑務所は砂漠の真っ只中にあるし、監房の窓や屋上からはロケット発射台とピラミッドが見えている。それでいて刑事たちが食事をするのは、商店街の中にある定食屋。

 この映画の中では、すべての空間がねじれ、現実と妄想と観念とがモザイクのように細かく組み合わさっている。ここに描かれている事柄の何が現実で、何が虚構なのか、それはまったくわからない。一瞬前に起きていたことが、次の瞬間にはまるで姿を変えて再現される。次に起きることが、今この時から直接つながらない。これは人が夜毎に見る「夢」の世界。だがこれは甘美な夢だろうか? それとも身の毛がよだつ悪夢だろうか? それすらきわめて曖昧だ。

 背景を黒く潰し、スポットライトに人物が浮かび上がるという舞台劇風の演出。多角形の雑居房や、床に描かれた放射状の模様、ひらひらと舞う薄いポンチョのような囚人服、四角い木箱がずらりと並んだ部屋、浅いプールで足踏みを続ける洗濯場。これら特異な美術やコスチュームが、映画に描かれる刑務所を別世界のように描き出す。同じ場面は何度も何度も変奏され、そこには死んだ人間の姿が浮かび上がり、生きているはずの人間の姿が闇に溶けていく。これはこの世のどこかではない、どこか別の世界だ。あるいはこれは、夢の世界。あるいは死んだ人間が天国と地獄に振り分けられる、冥界かもしれない。

 映画には蝶が登場することから、この映画が「胡蝶の夢」を引用しているらしいことがわかる。やはりこれは夢の世界なのか。だとすれば、この刑務所に集う人間たちの現実はどこにある? この映画に登場する「現実」が、はたして本当の現実そのものだと信じていいものなのか? 有吉淳は本当に人を殺したのか? 香月志郎はいった誰をどんな理由で殺したというのだ? これらの答えは、すべて意図的にぼかされている。

 映画に登場する男たちは、水槽に泳ぐ原色の熱帯魚のように美しい。だがその魚たちは、水槽の外では生きられない。この映画の刑務所はまさにそういう場所ではないのか。

8月公開予定 シネマート六本木
配給:エスピーオー 宣伝:DROP
2006年|1時間24分|日本|カラー|ビスタ|ステレオ
関連ホームページ:http://www.cinemart.co.jp/46/
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