年をとった鰐

&山村浩二セレクト・アニメーション

2006/05/12 メディアボックス試写室
L・ジョヴォーの童話を『頭山』の山村浩二が映画化。
併映は短篇アニメの傑作選。by K. Hattori

 短編アニメ『年をとった鰐』は、『頭山』でアカデミー賞にノミネートされた山村浩二の新作。フランスの童話作家レオポルト・ショヴォーの「年をとったワニの話」をもとに、原作のタッチを生かした世界を作っている。もともとこの原作は「年を歴た鰐の話」として、コラムニストの故・山本夏彦の訳で戦前に出版もされたものだ。しかしその後この本は絶版になり、山本夏彦はコラムや著者来歴の中でこの本を自らのデビュー作として紹介しつつ、その復刊は訳者の死後にようやく実現した。映画の原作は福音館から出版されている出口裕弘訳の「年をとったワニの話」だが、アニメの日本語タイトルは「ワニ」を漢字で「鰐」と表記するなど、山本訳を踏襲したものになっている。

 ナイル川の上流に住む、1匹の年をとったワニが主人公だ。リュウマチで身体が動きにくくなったワニは、餌を取るのが面倒になって近くにいた孫ワニを食べてしまう。仲間から村八分になったワニは川を下って海に出ると、そこで1匹のタコに出会う。自称12本足のタコはかいがいしく新しい友人の世話をし、彼のために餌の魚を取ってやったりする。だがその晩、ワニはどうしてもタコの足を食べたくなってしまうのだ。「12本もあるなら1本ぐらい」。こうしてワニは1晩に1本ずつタコの足を食べはじめたのだが……。

 ナレーションはピーター・バラカン。あまり言葉に感情を込めることなく、淡々とした語りに徹している。こうした一本調子の台詞は活字と同じで、観る人がそこにいかなる感情でも読み取れるというメリットがある。タコを文字通り食い物にしてしまったワニの葛藤の中に、人は自分が生きてきた中で経験した何かを投影する。ワニの善意を信じ続けてむざむざと食われてしまうタコの姿に、人は自分の身近にいた何者かの姿を投影する。悲しい話である。ワニが苦い涙を流すとき、人はそこに自分自身の姿を見出し、やはり苦い涙を流すだろう。

 今回の試写では「山村浩二セレクト・アニメーション」と題して、何本かのアニメが同時上映された。『ビーズゲーム』は黒バックの上に並べられた色とりどりのビーズが生物進化の道をたどり、互いに食ったり食われたりの闘争を繰り返しながら最後は核戦争に至るというもの。全部がビーズだけでできているのかというと、必ずしもそういうわけではない。『スワンプ』は沼地の上で戦う騎士の群が、武器を捨てられないばかりに最後は全滅してしまうという寓話。これも軍備に汲々とする人間を皮肉っているわけだが、じつにエレガントな作品だった。

 雑誌やカタログの切り抜きをコラージュし、そこにナレーションを幾重にもかぶせた『フランク・フィルム』。ミニマルミュージックとごく短い繰り返しループのモノクロアニメを組み合わせた『リボルバー』。この2本はあまり僕の趣味ではなかった。面白かったのはジャズに抽象的なアニメを組み合わせた『色彩幻想』だ。

(原題:The Old Crocodile)

8月公開予定 ユーロスペース(モーニング&レイト)
配給:ジェネオン エンタテインメント、ヤマムラアニメーション、スローラーナー
宣伝:スローラーナー
2005年|13分(総計55分)|日本(ほか)|カラー|ビスタ16:9(ほか)|DOLBYデジタル(ほか)
関連ホームページ:http://www.slowlearner.co.jp/
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