マクダル パイナップルパン王子

2006/02/03 メディアボックス試写室
香港の人気アニメ「春田花花幼稚園」の劇場版。
主人公マクダルの父の物語。by K. Hattori

 香港の人気アニメ「春田花花幼稚園」の劇場版第2弾。映画のもととなったTVアニメ版すら日本では一部のケーブルテレビで放送しているだけであり、しかもそこから生まれた1本目の映画を飛ばして、なぜか第2作目から出し抜けに劇場公開するという、大胆というか、無謀というか、あまりにも無茶苦茶な戦略。これは内容によほどの自信があるに違いない。しかしその自信の根拠はいったい何なのか、それがよくわからない映画だった。1作目の『My Life as Mcdull マクダルの話(仮題)』はアヌシー国際アニメーション映画祭の長編部門でグランプリを獲得し、本作『マクダル パイナップルパン王子』も香港電影評論学会大賞でグランプリを受賞しているのだが、いったいそれらの賞がどの程度の権威を持っているのかもよくわからない。

 幼稚園児が主人公で、中身は結構辛辣に大人向けのアニメというと、これは日本だと『クレヨンしんちゃん』ということになる。しかし『クレヨンしんちゃん』が子供にもわかる物語やギャグをベースに、大人の観客への目配せをしているのに対して、この『マクダル パイナップルパン王子』は最初から子供など眼中にないように見える。なにしろここで描かれているのは、主人公マクダルの家がなぜ母子家庭なのか、マクダルの父親は何者でどこに消えたのかという、かなりヘビーな話なのだ。

 映画のほとんどはマクダルの父マクビンの生い立ちから旅立ちまでを綴っているのだが、これがマクダルの母ミセス・マクが息子に語る物語という体裁になっている。お話の内容は、某国の世継ぎであるパイナップルパン王子(マクビン)の悲劇。ふとしたきっかけで王宮から街に出た王子は、そこで王宮に戻る道を見失ってしまう。誰かが再び王宮に戻してくれることを願いつつ大人になった王子は、若き日のミセス・マクと知り合い、愛し合い、マクダルができるのだが……。これは言うまでもなくミセス・マグの作り上げた虚構の物語であって、マクダルの生きている現実の世界とは別の話だ。

 こうなると問題は映画の中で語られるマクビンの物語そのものより、この悲しいおとぎ話を息子に語って聞かせるミセス・マクの側にあるように思われてくる。いったいなぜ彼女は、このような話を語るのか。そこから彼女の男性観のようなものが見えてくるのかこないのか……。それを見て取るにはテレビ版や劇場1作目のミセス・マクがどんなキャラなのかを知らねばならないだろうし、そこでミセス・マクとマクダルの関係がいかなるものであったのかも考慮しなければならないだろう。だが僕はこの映画以外にミセス・マクを知らないので、この奇妙な物語に出会っても戸惑うばかりなのだ。

 かくして僕は、「こんな映画をいきなり公開するとは、なんと大胆な!」という冒頭の感想に回帰する。映画がどう受け入れられるか、ちょっと楽しみではあるけれど……。

(英題:McDull, prince de la bun)

3月上旬公開予定 ユーロスペース
配給:マジックアワー
2004年|1時間28分|香港|カラー|ヴィスタサイズ|ドルビーSRD
関連ホームページ:http://www.mcdull.jp/
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