マザー・テレサ

2005/08/02 東芝エンタテインメント試写室
ノーベル平和賞を受賞したマザー・テレサの伝記映画。
オリビア・ハッセーがテレサを熱演。by K. Hattori

 1979年にノーベル平和賞を受賞したマザー・テレサの伝記映画。主人公テレサをオリビア・ハッセーが演じている。IMDbによるともともとはイタリアのテレビ映画で、長さは3時間あったようだ。映画はそれを2時間にまとめてある。一般にマザー・テレサはノーベル賞受賞後の年老いた姿が記憶されていると思うが、この映画では1946年にまだ30代だった彼女の姿から始まる。

 カルカッタの修道院で女子教育に打ち込み、女学校の校長まで務めていたテレサが、神のお告げによって貧者のために働くことを決意したのは1946年9月10日のことだった。ダージリンに向う列車の中で、彼女は神の言葉を聞いたのだという。これは一種の神秘体験で、実際に彼女に何が起きたのかは他人に理解できないことだろう。しかし映画はそれをじつにわかりやすく解釈してみせる。

 列車に乗り込もうとした彼女が見たのは、駅の雑踏の中で息絶えようとしているひとりの男の姿。思わず彼に歩み寄った彼女は、彼が「わたしは渇く」とつぶやくのを聞く。テレサはこれに衝撃を受けた。それはこの言葉が、十字架のイエスが死の前に発した言葉だったからだ(ヨハネ19:28)。彼女は目の前で誰からも見捨てられて死んでいく貧しい男の中に、十字架で死んだイエス・キリストの姿を垣間見る。そして後にバチカンから調査のため訪れた神父に、テレサは福音書にあるイエスの台詞を引用する。『わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである』(マタイ25:40)。じつにわかりやすいロジックだ。だがそれがわかったからといって、信仰を持つ人が誰でも貧者の群に身を投じられるわけではない。聖書の言葉が実際の行動にまで結びついたところに、マザー・テレサの神秘と聖性があるのかもしれない。

 映画はテレサを単なる聖人として描くのではなく、人間的な欠点も併せ持つ存在として描いているように思う。それは段取りや根回しにまったく無頓着なまま、どんどん前に進んでいく彼女の性格そのものだ。この性格ゆえに彼女は偉大な成果をあげることができたのかもしれないが、同時に周囲に大勢の敵を作って反発され、スキャンダルにも巻き込まれる。彼女が貧しいものに施すことを最優先するため、ノーベル賞のパーティー費用が幾ら、会議で出されるミネラルウォーターが幾らと、いちいち気にする姿もケチ臭い。これは『なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか』(ヨハネ12:5)と言ったイスカリオテのユダの台詞を連想させてしまう。

 そんな欠点も持つ彼女が、それでも周囲に次々と協力者を取り付けて、自分の思いを押し通して行ってしまう姿は感動的。テレサの仕事は周囲の人々の献身的な助けはもちろんのこと、何か人知を超えた力の後押しがあってのことに思えてくるのだ。

(原題:Madre Teresa)

8月13日公開予定 シャンテシネ
配給:東芝エンタテインメント
2003年|1時間56分|イタリア、イギリス|カラー|ビスタサイズ|SRD
関連ホームページ:http://www.motherteresa.jp/
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