私の頭の中の消しゴム

2005/07/14 丸の内ピカデリー1
愛する人がアルツハイマー症になってしまったら……。
泣かせどころたっぷりの恋愛映画。by K. Hattori

 不倫していた会社の上司と駆け落ちの約束をしたものの、当日になって振られてしまったスジン。やけくそな気分で飛び込んだコンビニで、彼女はひとりの男性と出会う。それは建設現場で監督の仕事をしているチョルスだった。しばらくして、スジンはチョルスと再会する。ぶっきらぼうだが優しいところがある彼に、彼女は惹かれていく。やがてふたりは結婚。チョルスは建築士の資格を取り、スジンの父の紹介で大きな仕事も受注するなど、新婚夫婦の生活は順風満帆だった。ところが物忘れのひどさを医者に相談したスジンは、そこで思いもかけない診断を下されてショックを受ける。彼女に下された病名は若年性アルツハイマー症というものだった……。

 キリスト教圏で作られた映画には、まったくキリストや聖書の話をしないまま、こっそりと物語の中で聖書の話をしているケースがある。この映画もそのひとつだ。大工として働くチョルスは、やはり大工だったイエス。彼に愛されるスジンは、イエスによって罪から救われたマグダラのマリアだろうか。チョルスもイエスも母子家庭で育ち、共に母親との折り合いが悪い。「あなたのお母さんに会いたい」と言うスジンに、「俺には母も家族もいない。お前だけが俺の家族だ!」と怒鳴るチョルスの姿は、「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか。見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる」(マルコ3:33-34)と言ったイエスを連想させる。

 ここに描かれているイエス(チョルス)は、不思議な奇跡を起こすわけではないし、何か特別な話で人を感心させるわけでもない。彼はひたすらスジンを愛し、彼女をあるがままに受け入れ、彼女を支えようとする。彼女と共に人生を歩み、共に笑い、共に泣き、共に悩み、共に苦しむ男。そんな彼が、最後は愛する女性を「天国」に連れて行くのだ。僕はこの映画を、受難劇も復活の奇跡もない人間イエスの物語として受け止めた。クリスチャンに親しまれているマーガレット・F・パワーズの詩「足あと(Footprints)」に登場する、愛する人の苦しみを背負って歩くイエスの姿だ。

 この映画は日本のテレビドラマ「Pure Soul〜君が僕を忘れても」の翻案で、映画の人物設定はほとんどが原作となったドラマを引き継いだものだ。しかし全部で12回の連続ドラマを2時間の映画にする段階で、映画はことさらに主人公の「イエス的な要素」を強調したのではないだろうか。ヒロインの部屋の廊下に羊飼いイエスの絵がさりげなく置かれていることからも、この映画の製作者たちがこの映画に「イエス的な要素」を込めようとしているのは明らかだと思う。

 もともとぶっきらぼうなチョルスが感情をあらわにすることの多い後半は、観ているこちらも胸が熱くなる場面の連続。韓国映画のメソメソした感情表現が、うまく素材とマッチして感動的な映画になっている。

(英題:A Moment to Remember)

10月下旬公開予定 丸の内ピカデリー1ほか全国松竹東急系
配給:ギャガ・コミュニケーションズ、powerd by ヒューマックスシネマ
2004年|1時間57分|韓国|カラー|シネマスコープ|ドルビーSR、ドルビーデジタル
関連ホームページ:http://www.keshigomu.jp/
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