殴者(なぐりもの)

2005/07/06 映画美学校第2試写室
明治初期の日本で行われていた異種格闘技の試合。
アイデアはいいけど脚本に力が……。by K. Hattori

 01年の怪作『けものがれ、俺らの猿と』に続く、須永秀明監督の劇場映画第2作目。格闘技イベントPRIDEの生みの親・榊原信行が新たに立ち上げたドリームステージピクチャーズ(DSP)の第1回製作映画で、劇中には桜庭和志、ヴァンダレイ・シウバ、クイント・ランペイジ・ジャクソンなどの現役格闘家が何人もゲスト出演している。

 物語の舞台は明治初期。ピストル愛次郎が仕切る雷一家は、「殴り場」と呼ばれる特設の土俵で行う格闘技の闇試合と、人間の肝から作る肺病の薬・黒浅丸を主な商売にしている。だが黒浅丸の商売は、外国人商人が持ち込んだキニーネの登場に脅かされていた。キニーネを扱っているのは皮舌が率いる新興組織・蟷螂一家。雷一家幹部でピストル愛次郎の影法師と呼ばれる暗雷は、外国商人を懐柔して蟷螂一家からキニーネの商売を奪い、殴り込みに来た皮舌らに「殴り場」での勝負を提案する。

 大きな話の流れとしては殴り場で行われる殴者(なぐりもの)同士の試合があり、そこに回想シーンとして、雷一家のピストル愛次郎と、影法師の暗雷、彼と一緒に育った遊女の月音の関係や、蟷螂一家とのやりとりや試合までの経緯、首切り浅と黒浅丸の秘密などのエピソードが挿入される形だ。話の組み立て方としては、かなり凝っている。しかし映画を最後まで観ると、この映画の中心にあるのは、ピストル愛次郎と暗雷と月音の関係性であることがわかる。……そう、そこまではわかるのだ。しかしその先がわからない。

 暗雷の父を彼の目の前で斬殺した愛次郎は、暗雷を自分の右腕に育て上げるが、その人格を徹底的に否定している。これは月音も同じだ。彼女の父も愛次郎に殺されているという。愛次郎に引き取られた月音は、成長してからは愛次郎に女にされ、その美しさを組織拡大のための道具とされている。年齢も近く境遇も似通ったふたりが、互いに惹かれ合うのは自然の成り行きだろう。しかし僕は、三人の最後がわからない。これは「衝撃的なラスト」ではなく、「不可解なラスト」ではないだろうか。ただ単に意外なことが起きれば、観客がびっくりするだろうという底の浅い仕掛けではないのか。

 このラストを合理化するために何らかの解釈を加えることは可能だが、その解釈のための手がかりを、映画はまったく用意していない。これは無責任だろう。「観る人が自由に解釈してください」というのは作り手の逃げだと思う。まずは自分たちなりの解釈があったうえで、「それ以外の解釈をするのも自由です」というのが映画ではないのか。主人公三人の中では、ヒロイン月音の行動がもっとも不可解。演じている水川あさみ本人が「私もそれがわからない」と言っている。まったくひどい。

 悲劇には必然がなければならない。観客の誰もが、登場人物たちには他の選択肢がなかったと納得できる段取りが必要だ。しかしこの映画にそれはない。

9月公開予定 テアトル新宿
配給:ワイズポリシー
2005年|1時間33分|日本|カラー|ヴィスタ|ドルビーSR
関連ホームページ:http://www.nagurimono.com/
DVD SpecialShop DiscStation 7dream_88_31 TSUTAYA online
ホームページ
ホームページへ