スター・ウォーズ

エピソード3 シスの復讐

2005/06/25 錦糸町シネマ8楽天地(シネマ1)
新旧三部作同士を結びつける最後のミッシングリング。
意外なことは何も起こらない。by K. Hattori

 小学校6年生で『スター・ウォーズ』の1作目を観て以来、27年たってようやく完結した『スター・ウォーズ』シリーズ。今回の映画は新旧三部作を繋ぐ最後の作品で、お話の内容そのものにはまったく何の意外性もない。共和国は議長権限を強化して帝政に向かう。アナキンはジェダイを裏切って暗黒面に堕ちダース・ベイダーになる。パドメは双子を産み落として、赤ん坊はルークとレイアと名付けられ別々に育てられる。生き残ったヨーダとオビワンは、皇帝の追手を逃れて辺境に身を隠す。どれもこれも、シリーズをこれまで観てきた人にとって、新しい要素は何ひとつない。

 最初から結末がわかっている以上、この映画には「ネタバレ」なんてものは存在しない。問われるのは悲劇的な結末に向けてストーリーがどう曲折するかというプロセスであり、その曲折をどう面白く見せるかの語り口や演出だ。僕は今回の映画でストーリーの曲折についてはまずまず面白く観ることができたが、語り口と演出については不満が残った。もっとも不満があるのは、アナキンがいかにしてダークサイドに引き込まれ、ダース・ベイダーになるのかという、新シリーズ最大のテーマに関わる部分だ。

 もちろんこの謎は、脚本の上では合理的に説明してある。アナキン転落のプロセスを、数学の証明問題のように説明することも、解説することもできるだろう。しかし僕は今回の転落劇に、生身の血が通った人間ドラマとしては物足りなさを感じる。アナキンが抱えた葛藤や煩悶、苦悩などに、まったく感情移入できないのだ。もちろんアナキンの事情はわかる。その心情に同情もできる。でもそこには、映画を観ている自分とアナキンが一体化して、自分自身がアナキンと共に苦しむような時間はない。アナキンの行動に同情しながらも、彼の愚かな選択を冷たく醒めた目で観ることしかできない。

 たぶんジョージ・ルーカスという監督は、ダース・ベイダーというキャラクターに愛着を持ちながらも、結局は最後の最後まで彼の行動を許せなかったのだろう。理想を裏切り悪に取り込まれた若者の愚かさを理解はできても、心情的には絶対に許せなかった。ルーカスには「清濁併せ呑む」ことができないのだ。だからこの映画では、アナキンの行動に力がない。ジェダイを裏切った後のアナキンは、まるっきりの木偶の坊だ。旧三部作で2作目と3作目の監督を他人の手に委ねたルーカスは、新三部作で監督を兼務した。しかしルーカスの倫理的な潔癖さが、この三部作を底の浅いものにしたのは確かだと思う。

 今回の映画を『ゴッドファーザー』のコッポラが撮っていたら、あるいは映画史に残る傑作になったかもしれない。理想を求めながらも家族への愛から悪の道を選ばざるを得なくなるアナキンは、戦争の英雄から犯罪組織のボスになるマイケル・コルレオーネに似ているではないか。

(原題:Star Wars: Episode 3 Revenge of the Sith)

7月9日公開予定 日劇1、日劇3、みゆき座ほか全国東宝洋画系
配給:20世紀フォックス
2005年|2時間20分|アメリカ|カラー|シネマスコープ|DTS-ES、Dolby EX 6.1、SDDS
関連ホームページ:http://www.foxjapan.com/movies/episode3/
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