今年の2月22日に自殺した韓国の人気女優イ・ウンジュが、2001年にイ・ビョンホンと共演したラブストーリー。ただし彼女の出演シーンは映画の前半だけで、後半にはほとんど登場しなくなってしまう。逆に言えばこの前半でどれだけ観客に強い印象を残すかがこの映画の勝負になるわけで、彼女はその責務を十分に果たしているように思う。それにしても、この女優は映画の中で幸薄い役を演じることが多いのだな〜と、つくづく感じさせられてしまう。『ブラザーフッド』もそうだし、『永遠の片想い』もそうだった。ひょっとするとそれは、この映画で定着したヒロイン像であったのかもしれない。
1983年。大学生のインウは雨の日に傘を貸した女子大生テヒに一目惚れし、彼女が同じ大学の別の学科に在籍していると知って彼女にアプローチ。ついに彼女とのぎこちない交際をスタートさせる。互いに深く愛し合っていたふたりだが、その交際はある日突然終わってしまう。兵役に向かう彼を駅まで送ると約束したテヒは、その約束を果たさないまま彼の前から消えてしまったのだ……。それから17年後。高校の教師になっていたインウは、自分が受け持つことになったひとりの生徒に強く惹かれるのを感じた。心の中で、テヒと過ごした17年前の思い出が鮮明によみがえる。でもいったいなぜ?
映画としては決して上等の部類ではないし、物語の展開や決着の付け方にも疑問が多々ある作品だと思う。僕が疑問を持ったのは映画の中盤以降なのだが、そこで何が起きているのかはあえて書かない。アイデアとしては面白いと思うけれど、この展開からまったく別の決着の付け方だってあると思う。いろいろと問題はありそうだけれど、それでも愛を貫き通したいなら、とりあえずそのままで愛し合えばいいと僕は思う。このふたりにとって、それはさして難しいことではないと思うのだ。でもこの映画の作り手は「そのままの関係は許されない」と考えて結末を作っている。これはあからさまな差別意識なんじゃないの? この映画に出てくるような関係は、それほどタブー視されなきゃいけないの?
というわけで僕は映画後半にまったく共感できないし共感したくもないのだが、映画前半にある大学生同士のぎこちない恋愛関係を描いた部分はなかなか秀逸。この手のぎこちなさというのは、僕自身が通り抜けてきた過去の恋愛の記憶の中にも少なからずあるわけで、映画を観ていてもまるで自分自身の過去を見せられるような、気恥ずかしい気分を味わう羽目になった。登場するいくつかのエピソードが、もろに自分とかぶってるんですね。初めてのときに女の子のほうが度胸が据わっているとかね。中でも特に主人公たちがワルツを踊り始めたときは、恥ずかしくて顔から火が噴き出しそうになりました。いや、それは、まあ、僕にも……、ね、同じようなさ、ことが……、ね、まあ、よしときましょう……。
(英題:A Bungee Jumping of Their Own)