パッチギ!

2005/2/3 錦糸町シネマ8楽天地CINEMA6
1968年の京都と「イムジン河」をモチーフにした青春映画。
井筒和幸監督に久しぶりに泣かされた。by K. Hattori

 1967年にアマチュア時代のフォーク・クルセダーズが発表したものの、彼らが商業デビューする際には政治的配慮から発売中止となり、放送も自粛されてきた「イムジン河」という曲がある。この曲に日本語の歌詞を付けた松本猛が、「イムジン河」にまつわる秘話を明かしたのが「少年Mのイムジン河」という本。この映画はそれを原案としているが、時代を「イムジン河」発表翌年の1968年にずらし、朝鮮学校の少女に一目惚れした日本人高校生の奮闘記というドラマの心棒を入れた。

 物語の方向性は最初から最後まで一貫している。それは「いかにして恋人を作るか?」という、青春映画永遠のモチーフだ。映画は女の子の気を引くためマッシュルームカットにする主人公たちのエピソードから始まり、主人公の一目惚れ、断られてもめげない果敢なアプローチ、挫折などを経て、主人公ついに彼女と付き合うまでを描く。映画には他にも、日本の高校生と朝鮮高校の対立、北朝鮮への帰還事業、社会主義や共産主義への夢、ベトナム戦争、学園紛争、文化や音楽の状況などを、ギュギュッと押し込み、愛と友情と暴力に満ちた熱いエネルギーをたっぷりと盛り込んでいるのだが、ラブストーリーの軸がまったくぶれず、映画としてのまとまりが最後まで維持されている。

 井筒和幸監督がこの映画で表明しているのは、昨今の「韓流ブーム」に対する違和感だろう。好きな女の子と親しくなろうと片言の朝鮮語を覚え、朝鮮人コミュニティの周辺をうろついて一緒に酒を飲んだり、バカ話をして共に笑いあう主人公。そこには確かに紛れもない「友情」がある。まるで今の韓流ブームとそっくりだ。

 でもその「友情」は、ある事件をきっかけにして冷たく拒絶されるのだ。拒絶される理由は、彼が日本人だから。日本人は朝鮮を植民地支配し、朝鮮民族を苦しめてきた過去がある。もちろん高校生の主人公が、その責任を問われてもどうしようもない。しかし「お前はその歴史を知っているのか!」と問われたとき、主人公は唇をかみ締めてその場を立ち去るしかない。日本と朝鮮の間にある歴史の壁を、いかにして突破していくか。それがこの映画のテーマではないだろうか。「パッチギ」とは「突き破る、乗り越える」という意味を持つ朝鮮語で、「頭突き」の意味でもあるという。この映画はケンカの場面で必殺の頭突きが炸裂することも多いが、最終的には主人公たちが目の前の困難な状況を乗り越え大人になっていく、青春の通過儀礼を描いた映画になっている。

 井筒監督の暴力的な青春映画は『ガキ帝国』や『岸和田少年愚連隊』で上手さを立証済みだし、音楽についても『のど自慢』という傑作を作っている。今回の映画は井筒監督が得意とする、暴力と音楽の世界に、恋愛ドラマがうまくかみ合った奇跡のような作品。アクションシーンが台詞よりも能弁に登場人物たちの気持ちを語っているのだ。

1月22日公開予定 シネカノン有楽町ほか
配給:シネカノン
2004年|1時間59分|日本|カラー|ビスタサイズ 1:1.85|DTSステレオ
関連ホームページ:http://www.pacchigi.com/
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