スパイダーマン2

2004/09/06 錦糸町シネマ8楽天地シネマ5
ピーターはなぜスパイダーマンであり続けるのか?
ヒーローの存在意義を問うパート2。by K. Hattori

 前作のあらすじをオープニングタイトルにイラストで紹介するあたりから、もうすっかり映画の世界に浸ってしまった。世界を悪の手から守るため、愛する女の求愛さえ振り切って自らの使命へと歩み始めたピーター・パーカーことスパイダーマン。しかしいざ本編が始まると、今回のスパイダーマンはまったく冴えない男に成り下がっている。ブルース・ウェイン(バットマン)のような大富豪ではないピーターは、ボランティアの正義の味方をやればやるほど貧乏になり、生活の余裕がなくなってしまうのだ。秘密の仕事で約束を守れないピーターにいら立つMJは、別の恋人を作ってイチャイチャ。心身ともに疲れ切ったピーターは、割の合わないスパイダーマンの仕事を廃業することに決めるのだ。

 人はなぜ一文の得にもならない善行を為そうとするのか。それは馬鹿げた徒労に過ぎないのではないか。他人様の事情に首を突っ込んで、自分が損をしては何も意味がないのではないか。人を助けられる場に自分がいたとしても、まずは自分の安全や幸せを考えたって悪くはないのではないか……。そんな葛藤こそが、『スパイダーマン2』のテーマだろう。これに比べれば、敵キャラであるドック・オクとの対決など小さな問題だ。むしろ今回深刻化しているのは、スパイダーマンを父の仇と狙う親友ハリー・オズボーンとの関係ではないだろうか。1作目から続くこの3人の若者たちの関係は、次の3作目でより深刻で悲劇的なものへと発展していくはずだ。映画の最後に去っていくスパイダーマンを見つめるMJの表情が、決して晴れやかなものではなかったことがそれを証明している。

 そんなわけで今回の映画はシリーズの中継ぎエピソードだと思うが、アクションシーンは見せ場満載で少しもだれない。惜しいのはドック・オクことオットー・オクタヴィウス博士の葛藤と、ピーター・パーカーの葛藤がうまく共鳴していないことだ。小型核融合炉の実験中に妻を失い、自らは4本アームの怪人ドック・オクへと変身してしまった博士は、妻の死を「偉大な発明の前の小さな犠牲なのだ」と合理化する過程でモンスターになってしまう。妻の死を無駄にしないためには、何が何でも核融合炉を完成させなければならない。ドック・オクが単にアームの人工知能に操られているのではなく、妻を愛するがゆえに怪物になったという苦しみがもう少し説得力を持つと、この怪物の悲しみとピーターの抱える悲しみが共鳴し合って、最後の戦いもより悲壮なものになったに違いない。怪人の苦悩という点では、前作のグリーン・ゴブリンの方が観客に切実な印象を与えたと思う。

 今回の映画で嬉しかったのは、前作で死んだピーターの叔父やノーマン・オズボーン(初代グリーン・ゴブリン)がピーターやハリーに力を与える幻影として再登場することだ。ウィレム・デフォーとジェームズ・フランコは似ているなぁ……。

(原題:Spider-man 2)

7月10日公開 日劇1他、全国東宝洋画系
配給:ソニー・ピクチャーズ
2004年|2時間7分|アメリカ|カラー|スコープサイズ|SDDS、ドルビーデジタル
関連ホームページ:http://www.sonypictures.jp/movies/spiderman2/
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