アトミック・カフェ

2004/07/14 映画美学校第2試写室
1940年代〜50年代に作られたプロパガンダ映画を再編集。
冷戦下のアメリカ人はトンデモ世界に住んでいた。by K. Hattori

 1982年に製作されたドキュメンタリー映画のリバイバル公開。1940年代から50年代にかけてアメリカ政府や軍が広報や啓蒙のために作った宣伝映画を切り貼りし、その当時の人々がいかに途方もないことを信じ込まされていたかを暴露している。監督はケヴェン・ラファティ、ピアース・ラファティ、ジェーン・ローダーの3人。新しいナレーションや音楽を入れることをせず、徹底して「当時の素材」にこだわったところがユニーク。

 この映画は日本でも83年に公開されているが、その時は「異色の反核映画」という扱いだったと記憶する。でもこの映画は、本当のことを言えば「反核映画」ではないのだ。もともとこの企画が始まったのは、フィルム・コレクターだったピアース・ラファティが本屋で「アメリカ政府広報映画3,433本」というカタログ本を見つけ、プロパガンダについてのドキュメンタリーを作ろうと思いついたことに端を発している。監督たちがありとあらゆるプロパガンダ映画を観まくった結果、たどり着いたのが原水爆についてのプロパガンダだった。たぶんそのジャンルが最もトンデモ度が高いと判断されたのだろう。

 この映画の面白さは、大真面目に語られる「核兵器についての常識」が、今となってはどうしようもなく荒唐無稽である点だ。特に放射能汚染に対する過小評価、被曝による健康被害をまったく無視した物言いには開いた口がふさがらない。これを観た現代の観客は、「当時のアメリカ人は政府にだまされていた」と感じるに違いない。だが本当にそうなのか? 登場する映画はすべて、政府や軍が作った広報資料だ。アメリカ政府は放射能の被害という明白な事実を知りながら、それに反する事柄を国民に信じ込ませようとしていたのだろうか?

 このあたりが僕にはどうもよくわからないのだが、案外当時のアメリカ人は、政官含めて「放射能などたいしたことない」と本気で信じていたのではないだろうか。人間は自分の知りたくない事実からは、無意識に目をそらすものだ。「放射能などたいしたことない」と信じたい人たちは、その考えに同調する学者の意見を信用し、反対する意見を述べる学者を無視する。その結果が「放射能の影響で髪が抜けたらカツラをかぶりましょう」とか、「核戦争が起きてもシェルターに何週間か隠れていれば大丈夫」という自信たっぷりな主張を生み出していたのではないだろうか。

 しかしそんな主張も、30年たてば化けの皮がはがれる。政府の宣伝は嘘ばっかりだったじゃないか!ということになる。でもここで考えなければならないのは「昔の政府は嘘ばっかりついていた」ということではなく、「今の政府は嘘をついていないのか?」ということなのだ。我々が現在「事実だ」と信じていることの中には、30年後に「荒唐無稽な与太話」と笑われるものがあるのかもしれない。カメのバートを簡単には笑えませんぞ!

(原題:The Atomic Cafe)

9月下旬公開予定 ユーロスペース(レイト)
配給:竹書房 宣伝・問合せ:スリーピン
1982年|1時間27分|アメリカ|カラー|スタンダード|ステレオ
関連ホームページ:http://www.takeshobo.co.jp/
ホームページ
ホームページへ