雲/息子への手紙

2004/06/02 GAGA試写室
映像とナレーションと音楽による「詩」のような作品。
シンプルな作りだが奥が深そう。by K. Hattori

 ベルギーを中心に活動しているフランス出身の女性映画監督マリオン・ヘンセルによる、異色のドキュメンタリー映画。世界各地で取材した雲や火山などの映像に、監督が息子に宛てた手紙の朗読が重なるという趣向。映画の中には監督も息子も、そもそも人間が出てこない。映像については完全なドキュメント。ただしそれがどこで撮影した、どんな意味を持つ映像なのかはわからない。ナレーションは監督自身が担当しているわけではなく、フランス語版はカトリーヌ・ドヌーヴ、英語版はシャーロット・ランプリングが担当している。(日本では字幕付きで両バージョンを上映。)このナレーションの内容も、どこまでが事実に沿っているのか不明。多少は演出や脚色があるのかもしれない。

 仮に映像がすべて監督自身による取材で、ナレーションの内容がすべて監督が実際に子供に宛てた手紙であったとしても、このふたつがもともと何の接点も持っていないのは確かだ。これは映像だけ観れば確かに「雲」のドキュメンタリーかもしれない。ナレーションだけを聴けば、「息子への手紙」のドキュメンタリーだ。でもこのふたつを組み合わせると、「雲」でも「息子への手紙」でもない、別種のものになっている。映像と映像を組み合わせたり、映像と音声を組み合わせることで、そこに単独の素材からは見えない新しい意味を生み出すのが映画のモンタージュ。そういう意味では、この映画はまさに映画らしい映画なのかもしれない。

 しかしこれは一体何だろうか。映像と言葉と音楽による「詩」のようなものか。ひとりの女性が息子に宛てたプライベートな言葉の数々は、それとまったく関係がない映像と出会うことで、プライベートな言葉から普遍性を持つより大きな言葉へと昇華している。自然科学ドキュメンタリーのような雲や火山の映像も、そこにまったく無関係なナレーションを加えられることで、雲や噴煙が何事かを語っているかのような躍動感を与えられる。映像と言葉の組み合わせに、直接的な意味はないようだ。しかし言葉の持つ意味と、映像のリズムは、強い緊張感を持って固く手を結び合っているように思える。

 息子への手紙というプライベートな心情のこもった言葉を、監督が自らナレーションするのではなく、ドヌーヴやランプリングという国際的なスター女優が語っているというのも、この映画のスケール感を生み出していると思う。ちなみにドイツ語版は『交際欄の女』のバーバラ・アウアー、オランダ語版は『小便小僧の恋物語』のアンチェ・ドゥ・ブックがナレーションを担当しているらしい。(独版や蘭版が上映されないのも納得。)日本でDVD発売する際は、ぜひとも日本の大女優に日本語版のナレーションを加えてほしい。ドヌーヴやランプリングに対抗するには、吉永小百合とか岩下志麻ぐらいのレベルでないと名前負けすると思うけどね。

(原題:Nuages: Lettres a mon fils)

9月18日公開予定 東京都写真美術館ホール
配給:アップリンク
2001年|1時間16分|ベルギー、ドイツ|カラー|1:1.85
関連ホームページ:http://www.uplink.co.jp/
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