いつか、きっと

2004/04/15 メディアボックス試写室
イザベラ・ユペールが子持ちの娼婦を演じるドラマだが、
この物語で何をやりたいのか趣旨が不明瞭。by K. Hattori

 『ピアニスト』や『8人の女たち』で堅物で、インテリの変人オールドミスを演じていたイザベル・ユペールの主演作。ただし今回の役柄は、それらとはずいぶん違う。物語は南仏ニースから始まる。中年の娼婦シルヴィアには14歳の娘ロランスがいるが、娘と離れて生きてきた負い目と娘の真っ直ぐな視線がシルヴィアには耐え難く、彼女は娘を遠ざけがちだ。だがロランスは母の愛情に飢えていた。母の留守宅に忍び込んで息を潜めていたロランスは、地元のチンピラたちに母がからまれている様子を見て、発作的にチンピラのひとりをナイフで刺してしまう。突然現れた娘に驚きながら、シルヴィアはロランスの手を取って町を逃げ出す。目指すあてはどこにもない。昔からの友人の助けを求めようとしたシルヴィアは、そこで以前の夫ピヨトルの手紙を手渡されるのだが……。

 基本的には母と娘の話だと思うのだが、こうした定番モチーフのわりには、ドラマの焦点がどこにあるのかがわかりにくい。例えば娘がチンピラを刺す。これは一種の正当防衛のようにも思えるのだが、そうしたことを一顧だにせず、母と娘はその場をさっさと逃げ出してしまうし、刺された男についてのその後のフォローもない。つまりこの映画にとって、娘が母を守るためにチンピラを刺すという出来事は、母と娘が移動を始めるためのきっかけに過ぎなかったらしいのだ。その後はシルヴィアと昔の夫の話になり、シルヴィアの記憶喪失の話になり、謎めいた中年男ジョシュアがからんできたり、話があちらこちらに蛇行して、まるで行き着く先が見えなくなっていく。結果がみえみえの予定調和な映画は退屈だが、あまりにも先の見通しが立たない映画も観ていて疲れるものだ。

 世の中にはわざわざ単純な話をややこしく混ぜっ返して、そこから表面の物語には現れない別のテーマを浮かび上がらせる作品もあるだろう。でもこの『いつか、きっと』という映画の場合、そうした隠しテーマがあるようには思えない。これは要するにバラバラになっていた母と娘が和解し、そこに過去に傷を持つ中年男も加わって、新しい家族を作る話ではないのか。そこにヒロインが抱える「罪」のシンボルとして、別れた家族の話や記憶喪失という話が出てくるのだと思う。

 この映画では登場人物それぞれが、大きな「罪」を抱えている。シルヴィアもロランスもジョシュアも、ひとりでは背負いきれないような罪の重さに押しつぶされそうになっている。家族を捨てたシルヴィア。人を刺したロランス。お尋ね者のジョシュア。しかし映画を観ていて最後までスッキリしないのは、シルヴィアの消えた記憶の中身が、ついに最後までわからないことだ。これでは「罪」の重さを他人と分かち合うカタルシスから、シルヴィアだけが疎外されてしまうのではないだろうか。僕はこのヒロインに対して、最後まで胸のつかえが下りないような気持ち悪さを感じる。

(原題:La Vie Promise)

6月公開予定 新宿武蔵野館
配給:ギャガ・コミュニケーションズ、アニープラネット
宣伝:アニープラネット
2002年|1時間33分|フランス|カラー|スコープ|ドルビーSRD、DTSデジタル
関連ホームページ:http://www.annieplanet.co.jp/
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