かまち

2004/02/24 日本ヘラルド映画試写室
17歳で散った無名のカリスマ・山田かまちの青春と現代の若者たち。
伝記部分と現代部分のかみ合わせがうまく行ってない。by K. Hattori

 1977年8月10日。自宅でエレキギターの練習中に感電した山田かまちは、膨大な量の詩や絵を残してあっという間に世を去ってしまう。群馬県高崎市の高校に通うごく普通の高校生だった彼は、残された作品をきっかけとして若者たちのカリスマとなった。この映画はそんなかまちの短い生涯を、現在に生きる若者たちの姿と照らし合わしながら描く青春映画だ。原作はかまちの母・山田千鶴子の「かまちの海」。おそらく映画はもともと、山田かまちの伝記映画として企画されたのだと思う。

 映画に出演しているのは人気ヒップホップグループ“Lead”の4人組。公開順は『棒たおし』と逆になったが、彼らの映画出演はこれが初めてだという。物語は大きくふたつの流れから成り立っている。ひとつは山田かまちの短い青春を描いた「伝記映画」の流れ。もうひとつは、山田かまちとかつて関わりを持った人たちが、今をどう生き、今の若者たちとどう関わっていくか、今の若者たちはどう生きているのかという「現代の青春」を描く流れだ。

 こうした構成になっているのは、山田かまちの「伝記」だけでは現代にきちんとメッセージが届かない、現代に山田かまちの生き方やメッセージを伝えるには、今の若者たちが山田かまちとどう関わっていくかという物語が必要だと思った結果かもしれない。これはなかなか意欲的なアイデアで、物語が突如現代に移った時、僕は「おっ!」と一瞬身構えた。だがこのアイデアがうまく機能しているか、映画として成功しているかはまた別問題だ。この現代編はいかにも取って付けたような印象がある。これは「伝記」部分をもっとふくらませて現代のシーンを省いてしまった方が、映画としてまとまりのあるものになったのではないだろうか。

 望月監督は1957年生まれだというから、1960年生まれの山田かまちとほぼ同世代と言ってもいい。望月監督は自分が青春を過ごした時代に、もっと食いついてほしかった。現代編に比べて伝記部分のできがずっといいだけに、余計にそう感じてしまうのだ。劇中でビートルズのカバー曲が多用されているのは、たぶん望月監督の趣味だと思うけど、こうした粘っこさを映画全体でも感じさせてほしかった。(ただし時代考証は気になるけどね。山田家の水道の蛇口がモダンすぎるし、牛乳テトラパックにしてほしかった。)

 自転車で駆け回るかまちの姿に、かまちの書いた詩をオーバーラップさせる導入部のスピード感は、望月六郎の新しい傑作の誕生を予感させた。ナレーションと次々現れ消える文字のぶつかり合いが素晴らしい。しかしそれが「現代編」に入ると急に失速してしまう。これが残念。走って走って、脇目もふらずに走り抜いた山田かまちの青春を描くのに、小細工や変化球はいらないのかもしれない。仮に現代編を加えるにしても、もう少し工夫が必要だったと思う。

2月28日公開予定 109シネマズ高崎
3月13日公開予定 池袋シネマサンシャイン
配給:日本ヘラルド映画 宣伝:P2
2004年|1時間55分|日本|カラー|ビスタサイズ|DTS-SR
関連ホームページ:http://www.herald.co.jp/official/kamachi/
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