ナコイカッツィ

2004/01/23 東芝エンタテインメント試写室
ゴッドフリー・レジオ監督が20年かけて完成させたカッツィ三部作完結編。
映像と音楽の壮大なコラージュは観るものの眠気を誘う。by K. Hattori


 1982年に製作されてカルトムービー化した異色ドキュメンタリー映画『コヤニスカッツィ』と6年後の続編『ポワカッツィ』に続く、ゴッドフリー・レジオ監督のカッツィ・シリーズ第3弾にして完結編。音楽は前2作と同じフィリップ・グラス。タイトルはすべてアメリカ先住民ホピ族の言葉で、1作目は「バランスを失った世界」、2作目は「自己の繁栄のために他者の生命力を消費する存在」、そして今回の3作目は「互いに殺し合う命」「日常と化した戦争」「文明化された暴力」を意味しているのだという。

 この映画にはストーリーもなければ台詞もない。フィリップ・グラスの現代音楽に合わせて、相互に関連のない映像が次々に現れては消えていく。映像は全体の2割ほどが新規撮影で、残りはすべて既存の映像素材からの引用だという。ただし登場する映像はデジタル技術を使って人工的に着色されたり脱色されたりスピードをコントロールされたりして、オリジナル素材がもともと持っていた意味を失っている。これは映像素材によるコラージュなのだ。映像と映像はデジタル編集機というハサミと糊を使ってバラバラに切り取られ、自由自在に再構成されていく。額縁に相当するのがグラスの音楽だろうか。

 上映時間はほぼ1時間半だが、これを最初から最後まで意識を失うことなく凝視し続けられる人がどの程度いるのかはよくわからない。僕は少なくとも3分の1は意識がどこかに飛んでいたと思う。要するに眠ってしまうのだ。つまらないというわけではない。映像は十分に刺激的だ。でもこれは、じっと観ているのが辛い。映像だけならまだしも、グラスの音楽がまた、観る人に急激な眠気を起こさせるのだと思う。僕は同じ現代音楽でも、同じようなミニマル音楽でも、グラスよりはライヒが好きな方だしなぁ……。

 これは映画が退屈で寝るとか、つまらなくなって寝るという問題ではなくて、あの単調で一定のリズムで刻まれる映像や音楽が、人間の睡眠中枢を刺激するんだと思う。音楽か映像のどちらか一方なら、これはさほど眠くならないのではないだろうか。グラスのサントラを聴いても、たぶんこれほどの眠気は起きないだろう。映像だけでもそれは同じだ。ところが映像と音楽が揃うと、そこに観客の眠気を誘う何かが生まれる。

 僕自身は『コヤニスカッツィ』や『ポワカッツィ』を観ていないので、それらに比べて今回の映画がどうなのかはわからない。いずれ機会があれば、DVD化されている前2作を観ることもあるだろうか。どのみちテレビの小さい画面で見るより大きな画面で観た方が断然迫力がある映画だと思うので、これは劇場で観られるときに観ておくべき映画なのかも。ただし観ている途中にぐっすり寝込んでしまい、気が付いたら映画が終わっていたということにならないためには、事前に睡眠をたっぷり取って体調万全で劇場に向かうべきだと思う。

(原題:Naqoyqatsi)

2月28日公開予定 ユーロスペースほかにて全国順次ロードショー
配給:東芝エンタテインメント
2002年|アメリカ|1時間29分|ヴィスタサイズ|ドルビーSRD
関連ホームページ:
http://www.naqoyqatsi.jp/

DVD:ナコイカッツィ
サントラCD:ナコイカッツィ
サントラCD:Naqoyqatsi
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