ニュータウン物語

2003/12/05 シネカノン試写室
ニュータウン育ちの監督が育った町を訪ねてみると……。
本田孝義監督の自伝的ドキュメンタリー映画。by K. Hattori


 高度経済成長時代、日本各地に作られたニュータウン。その代表例とされる多摩ニュータウンを例を取ると、60年代に計画が立てられて68年から造成開始、最初の住宅入居は71年だという。他の大規模ニュータウンもすべてこれに前後して作られている。山林や丘陵地帯を切り開き、大規模な住宅地を一気に作り上げてしまうニュータウンは、それまで何もなかったところに道路や住宅はもとより、学校、病院、ショッピングセンター、公園、公民館などをひととおり作ってしまった、文字通りの「新しい町」だ。だがニュータウン建設から30年以上たって、かつては「夢の田園都市」と庶民の憧れだったニュータウンにも、さまざまなひずみが生じてきた。

 この映画はやはり1970年代に作られたニュータウン、岡山県山陽町の山陽団地にスポットを当てたドキュメンタリー映画だ。監督はこの団地で少年時代を過ごした本田孝義。前作『化学者として』と異なり、この映画は監督自身が自分の足跡をたどったり、映画製作と同時に行っているアーティストとしての活動を盛り込んだ、自画像のような作品になっている。いわば本多孝義という作家が、鏡の中をのぞき込んでながめた風景……。それが、日本中どこにでもあるニュータウンだったのだ。

 おそらく日本中には無数の「○○ニュータウン」があると思うし、それよりは小規模の「○○台」「○○平」「○○が丘」と名付けられた中小ニュータウンが無数にあると思う。それらはすべて戦後のある時期に、森や田畑をブルドーザーで潰して作った人工的な住空間なのだ。僕自身、子供の頃はそうした新興住宅地で暮らしていた。こうしたニュータウンで現在大きな問題になっているのが、地域社会の急激な高齢化だという。同時期にほぼ同世代の家族が一度に入居してしまったため、年を取るのも定年を迎えるのもすべて横並び。70年代に30歳代だった住人たちは、西暦2000年代にはすべて60歳以上の高齢者となった。かくしてどのニュータウンも、今では老人だらけの「オールドタウン」と揶揄されるようになった。

 監督は山陽団地の歴史をひもとき、古くからの住人や家族、かつて団地内の学校で机を並べた旧友たちにインタビューしながら、ニュータウンが抱える問題を「自分に隣接する社会問題」として掘り下げていく。だがそこから彼が主催するアート展へと向かうあたりで、この映画は『ニュータウン物語』から「ニュータウンで育った本田孝義の物語」に姿を変えてしまう。この変身の芽は映画の序盤からあったわけだが、ここで突然アート展が出てくるのがいささか唐突に思えた。「山陽団地」という地域の問題が、「本田孝義」という個人の活動へとバトンタッチされる思考プロセスをもう少し掘り下げると、この映画は作者の内面を綴る「私的ドキュメンタリー」として、さらに深みが増したのではないだろうか。

2004年2月21日〜28日 パルテノン多摩(小ホール)
2004年早春公開予定 ポレポレ東中野(モーニングショー)
配給:戸山創作所 宣伝:スリーピン
(2003年|1時間43分|日本)
関連ホームページ:
http://www12.plala.or.jp/toyama-honda/

DVD:ニュータウン物語
関連DVD:本田孝義監督
関連書籍:甦れニュータウン―交流による再生を求めて
関連書籍:ニュータウンは今―40年目の夢と現実

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