座頭市

2003/08/12 松竹試写室
北野武監督が座頭市というキャラクターを勝新から解放する。
座頭市はこれでようやく新たな命を得るのだ。by K. Hattori

 勝新太郎の製作・監督・脚本・主演で最後の映画版『座頭市』が作られたのが1989年。勝新はその後も新たな『座頭市』の構想を持っていたようだが、彼の死によってそれはすべて封印されてしまった。しかしその後も別の俳優による新しい『座頭市』についての企画が浮かんでは消え、三池崇史が役所広司主演で『座頭市物語』を再映画化するという話などは、ほとんど実現寸前まで進んだのではないだろうか。一時期松竹のラインナップに『座頭市』のタイトルが出ていたときもあったように記憶する。結局こうした企画はすべて流れ、今回の北野武版でようやく新たな『座頭市』が実現したわけだ。

 そもそも座頭市は子母沢寛のエッセイ集「ふところ手帖」の中でほんの少し触れられている盲目のヤクザに過ぎず、それを時代劇映画のヒーローにしたのは勝新太郎という俳優の力によるところが大きかった。勝新主演の『座頭市』シリーズは全部で26本あるそうで、その他に勝プロ製作のテレビシリーズがある。こうして映画館とお茶の間に知れ渡った座頭市だが、これまでモノマネ大会やパロディを別にすれば、勝新太郎以外に座頭市を演じた俳優はいなかったはずだ。時代劇俳優が一世一代の当たり役やはまり役を演じ続ける例は多いのだが、勝新太郎と座頭市のような関係は他に例がないものだと思う。座頭市と勝新太郎は切っても切れない関係で、ほとんど一体化していたのだ。それだけに、新しく『座頭市』を作るのは難しい。そして北野武はその難題にチャレンジし、見事、勝新太郎の呪縛から座頭市というキャラクターを解き放つことに成功した。

 北野版『座頭市』は「盲目のヤクザで居合の達人」という設定だけを過去から引き継ぎ、残りはすべてオリジナルにしてしまったと言ってもいい。それは座頭市の金髪だけを見ても明らかだろう。北野武はこの扮装によって、自ら演じる座頭市が「勝新太郎のモノマネ」になることを拒絶しているのだ。流れ者の座頭市が偶然やってきた町で、同じく流れ者の凄腕浪人と戦う羽目になるという物語は『座頭市』シリーズの定型を踏襲している。しかし座頭市と浪人の関わりにあまり深く入り込んでいかないところは、明らかに勝新太郎とは別の持ち味と言えるのではないだろうか。この映画には勝新の『座頭市』が持っていた「情緒」というものがない。それがこの映画の新しさになっている。

 北野監督の「勝新と違うことをやるぞ!」という意気込みは、映画の終盤に至ってとうとう座頭市というキャラクターそのものを破壊するところまでエスカレートする。北野監督は自分の役目を、座頭市というキャラクターを勝新太郎という役者から自立させ、一人歩きさせることだと割り切り、その上で思う存分好き勝手に遊びまわっている。なんとも痛快。この映画が作られたことで、今後また別の『座頭市』が作られる可能性が生まれたと思う。北野武は偉い!

9月6日公開予定 丸の内プラゼール他・全国松竹東急系
配給:松竹
(2003年|2時間|日本)
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