戦場のフォトグラファー
ジェームズ・ナクトウェイの世界

2003/07/24 映画美学校第2試写室
世界中の戦場を取材して回るカメラマンのドキュメンタリー。
これは取材する側も命がけだったかも。by K. Hattori

 世界中の戦場や紛争地帯を取材するフリーのフォトジャーナリスト、ジェームズ・ナクトウェイについてのドキュメンタリー映画。ナクトウェイは48年生まれのアメリカ人。独学で写真を学んで70年代にプロのカメラマンになり、80年代から本格的に戦争取材をライフワークとするようになった人物だ。これまでにロバート・キャパ賞、ワールド・プレス・フォト賞、年間最優秀雑誌カメラマン賞など、数多くの賞を受賞している。その行動力と写真のクオリティは折り紙付きだ。

 映画に登場するナクトウェイは、映画俳優のようにハンサムで、言葉数は最小限、取材中はあまり感情を表に出すことなく、背筋をシャンと伸ばしたまま黙々とシャッターを押し続けている。その姿は剣豪小説に出てくる武者修行中の浪人や、托鉢している修行僧のようでもあり、実弾の飛び交う戦場をすばやく移動していく姿は、険しい山道を軽々と走り抜ける修験者のようでもある。家を焼かれて茫然としている人々や、肉親を殺されて涙を流す人たちに、平然とカメラを向けて無言でシャッターを切るその姿は、人間性が欠落した「撮影マシーン」のようにも見えるだろう。

 だが映画を観ているうちに、ナクトウェイが撮影前後に取材対象とかなり親密なコミュニケーションを取っている場面も見えてくる。「相手が自分を信用して受け入れてくれなければ写真は撮れない」とナクトウェイは語っている。たとえ言葉は通じなくとも、「心をオープンにして対象に近づく」ことで、相手は自分を受け入れてくれるのだという。この信念で、ナクトウェイは危険な騒乱の現場にも堂々と入り込んで行く。他のカメラマンが安全な距離から望遠レンズで狙う光景に、手を伸ばせば触れられる距離まで肉薄していく。危険と常に隣り合わせというプレッシャーを、彼はどう克服しているのか。映画の後半はナクトウェイ本人の証言も混ぜながら、彼の心の内面へと入り込んでいく。

 世の中には想像を絶する悪がある。それが戦争だ。そこで傷つき苦しみながらも、世界から忘れられ、無視され、切り捨てられてしまう、罪のない人々がいる。そんな人々の痛みや苦しみを、自分のカメラで世界に伝えなければならないという使命感。その声を、少しでも世界に伝えたいというナクトウェイの願い。だが一方で彼は、自分が他人の不幸をビジネスにしているのではないか?という疑念にもぶち当たる。

 しかし言葉ではそう言いながらも、ナクトウェイの視線の先にはその壁の向こうにある何かが見えているのだと思う。それはナクトウェイ本人にも明確に答えられないのかもしれない。取材を受けた彼の友人のひとりは、それを「希望」だと言っている。ナクトウェイは楽天家なのだとも。確かに人間は、絶望だけを見つめながら生きることはできないだろう。多くのカメラマンが戦場で人間不信になる中で、彼は人間の正義や良心を信じているのだ。

(原題:war photographer)

9月6日公開予定 東京都写真美術館ホール
配給:メディア・スーツ
(2001年|1時間36分|スイス)
ホームページ:
http://www.mediasuits.co.jp/senjo/

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