ぼくんち

2002/12/12 東映第1試写室
西原理恵子の同名コミックを阪本順治監督が映画化。
主演の観月ありさより、子役ふたりがいい。by K. Hattori

 第43回文藝春秋漫画賞を受賞した西原理恵子の同名コミックを、『顔』『KT』の阪本順治監督が映画化した作品。母親が失踪して幼い兄弟ふたりきりになっていた家に、半年ぶりに母親が戻ってくる。しかも姉も一緒に。母親は帰宅直後に再び失踪し、兄弟は姉と3人で暮らし始めるのだが……というお話。僕は原作を雑誌連載中に時々読むことがあったけれど、単行本でまとめて読むことはしなかった。だが僕の乏しい原作経験からしてみても、この映画は原作とはちょっと違うものになってしまったように思う。

 とにかく貧乏で、とにかく暗いのだ。しかし貧乏と暗さをとことん突き詰めていくと、底が抜けたようなユーモアとペーソスの世界に行き着いてしまう。黒澤明の『どん底』にある明るさ。黒澤が参考にしたという志ん生の落語に通じる明るさ。あるいはチャップリン扮する浮浪者が持ち合わせる明るさ。西原理恵子の原作には、そうした明るさがどこかにあったように思う。それはシンプルな線画が生み出す「絵」としての明るさだろうし、「ちくろ幼稚園」や「まあじゃんほうろうき」などでも見られた、嗜虐的なユーモア感覚でもあろう。だが今回の映画では、貧乏と暗さの果てにある明るさやユーモアが、とうとう映画の中から見えずに終ってしまったように思う。

 これは原作をどう解釈するかという問題かもしれないが、それ以上に問題なのは、映画がどうしても持ち合わせてしまう映像のリアリズムが、この物語に描かれている貧乏や不幸をことさら生々しく見せている面が大きいのではないだろうか。おそらくこの脚本を改訂して舞台に乗せれば、舞台美術や場面転換という舞台作品の約束事がドラマ全体を抽象化して、原作のシンプルな線画に匹敵する世界を作り上げられるようにも思う。映画を作る場合もロケを減らしてできるだけスタジオセットで人工的な空間を作っていけば、抽象化された人工美の世界で西原マンガの世界を再現できたかもしれない。ところがこの映画では、ロケ撮影とオープンセットで、原作の抽象的な世界をきわめてリアルに再構築している。虚構の世界で演じられていた貧乏物語が、手を伸ばせば触れられるごく卑近な出来事として描かれている。

 こうなってしまうと、もうこの物語は悲惨すぎて目も当てられないのだ。子供を捨てる母。母に捨てられても健気に生きようとする子供たち。ピンサロで働く姉。シンナーの密売で生計を立てようとする弟。こんなのありか?

 この映画の失敗を如実に表しているのが、ラストシーンでラーメンを食べるシーン。このシーンではラーメンが本当に不味そうに見えた。本来ならこのラーメンは、ただの不味いラーメンという実体を突き抜けて、母と子をつなぐ何らかの触媒として機能しなければならないはず。ところがここにあるラーメンは、ただひたすら、リアルに不味そうなラーメンなのだ。

2003年陽春公開予定 シネスイッチ銀座、横浜関内アカデミー
配給:アスミック・エース、オメガ・ミコット 宣伝協力:ザナドゥー
(2002年|1時間55分|日本)
ホームページ:http://www.bokunchi.jp/

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DVD:ぼくんち
原作:ぼくんち(西原理恵子)
エンディング曲:卒業(ガガガSP)
関連CD:はじめにきよし(音楽担当)
関連DVD:阪本順治監督
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