ヒア&ゼア・こことよそ

2002/11/27 映画美学校第1試写室
ゴダールが76年に発表した彼自身によるメディア論。
取材対象と映画との間にある絶望的な距離感。by K. Hattori

 1970年前半、ゴダールはジガ・ヴェルトフ集団で『勝利まで』というファタハ(アラファトが率いるパレスチナ人のゲリラ部隊)の宣伝映画を作ろうとしていた。ヨルダン、レバノン、シリアなどで部隊と行動をともにし、映像素材をたっぷりと仕入れたゴダールだったが、映画を編集中に中東情勢が激変。庇護国だったヨルダンを追放されたPLOは本拠地をレバノンに移し、'73年の第四次中東戦争後は武装闘争路線から穏健外交路線にシフトしていく。ゴダールの『勝利まで』は武装闘争をアジテーションする宣伝映画として賞味期限切れになり、結局は未完の作品となった。この経緯そのものを、そっくりそのまま映画にしたのが、本作『ヒア&ゼア・こことよそ』だ。

 この映画では、映画を作っている現場と、映画が取材してきた現場との距離感がテーマになっている。そこにはフランスとパレスチナという空間的な距離と共に、取材をしていた'70年と編集をしている'74年という時間的な距離がある。「空間」と「時間」という2つの距離を、映像メディア(映画やテレビ)は埋められるのか? それとも映像メディアは、我々と対象との距離をより遠くしてしまうのか? この映画の中にはパレスチナ解放運動に対する批判も込められているが、それ以上に痛烈なのは、映像メディアが必然的にはらむ「対象との距離」に対するゴダールの問題意識なのだ。

 映画の中では、部屋の中でぼんやりとテレビを見る家族の姿がインサートされる。テレビ受像器の中には、世界中のありとあらゆる出来事が映し出される。そこには今現在世界のどこかで起きている戦争もあれば、過去の戦争で起きた悲劇的な出来事もある。世界中の政治家がテレビを通じて人々に語りかけ、世界中の事件がお茶の間に直接飛び込んでくる。だがそれで人々は、世界を知ったことになるのか? ゴダールは'70年に撮影されたゲリラ戦士たちの映像を見ながら、自問自答せざるを得ない。その映像が撮影された時、確かに自分たちはその場にいた。だがその翌年には、ヨルダン軍の攻撃でそのゲリラ部隊は全滅してしまった。今ここにいる自分と、かつてあそこにいた自分、あそこにいたゲリラたちとの距離感。映像と現実との、途方もない距離感。それを映像はまったく伝えられない。伝えられないまま、映像はお茶の間に垂れ流される。

 この映画は1974年時点でのゴダールのメディア論だ。今この時点でこの映画を観ると、映画が撮影された'70年、映画が作られた'74年、映画を観ている2002年という3つの時制が映画の中でからみあって、映画のテーマとなっている「対象との距離感」の問題がひときわ明確に見えてくるようにも思う。テレビ受像機が一家に1台の時代も終り、今やひとり1台の受像機を抱えている現在、こうした「距離感」の問題はより深刻化しているのかもしれない。

(原題:ICE ET AILLEURS)

2003年3月上旬公開予定 シネセゾン渋谷(レイト)
配給:ハピネット・ピクチャーズ、アニープラネット 宣伝:アニープラネット
(1976年|55分|フランス)
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DVD:ヒア&ゼア・こことよそ
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