チベットの女
イシの生涯

2002/10/07 映画美学校第2試写室
中国人の監督が描く、チベット女性の波瀾万丈の一代記。
政治色も感じるが、テーマは夫婦愛。by K. Hattori

 チベットの首都ラサに暮らすひとりのチベット人老女を主人公に、過去数十年にわたるチベットの近現代史を縦断していく一代記もの。監督はシエ・フェイ(謝飛)という中国人監督で、中国のアカデミー賞である中国金鶏賞を受賞している作品。しかし僕はもうこれだけで、この映画に胡散臭さを感じてしまった。ご存じの通りチベットというのは、中国が不法に占領を続けて国際的な非難を浴びている地域。中国人の監督がそのチベットを舞台にチベット人女性の生涯についての映画を撮り、それが中国国内で高く評価されたのだとしたら、それは当然のことながら何らかの政治的な意図を込めた作品となっているであろうと考えるのが普通だ。

 実際この映画には、やはり中国側の立場に立ったチベット理解が見られるし、中国側に都合のいいエピソードで全体が構成されている。主人公のイシという女性は大きな荘園で奴隷のような暮らしをしていたが、中国のチベット侵略によって“解放”され、それまでとは比較にならないほど自由な暮らしを手に入れる。少なくとも荘園領主が王のように振る舞う制度は、中国共産党の“おかげ”でなくなったのだ。チベットを封建的に支配していた特権階層は、中国支配の手を逃れて国外に脱出するが、その際、本来はチベット人民の財産であったはずのものを根こそぎ持って逃走するという卑怯卑劣な降るまいをする……。つまりこれが、中国によるチベット理解なのだ。中国が軍事力によって、それまで独立国だったチベットを占領してしまったという事実は描かれない。チベット人が中国に対していかに果敢な抵抗をしたのか、中国がチベット社会をいかに愚弄し、蹂躙し、破壊してしまったのか、中国軍の手によってどれだけ多くの血が流されたかなどについては、一切何も描かれない。

 しかしこの映画は「中国のチベット支配は正当なものだ」と訴える政治映画ではない。中国人の映画監督がチベットを舞台にして映画を作ろうとすれば、どうしてもこうした“中国政府の公式見解”に乗っかった形で映画を作るしかないのだ。この映画は背景に「中国のチベット侵略の隠蔽」という巨大な嘘を抱え込みながら、それでも精一杯の誠実さでもって、チベットの過去と現在を忠実に描き出そうとしている。そしてその上で展開するのは、イシとギャツォという、一組の夫婦の愛の物語なのだ。

 荷駄隊の隊長だったギャツォに見初められ、略奪されるように彼と夫婦になったイシ。だがその結婚生活は、必ずしも幸せばかりだったわけではない。荘園領主だったクンサンとの関係や、幼馴染みの僧侶サムチュへの思慕の念が、イシの心をかき乱す。だがそうした心の迷いや苦しみを乗り越えた先に、決して揺るぐことのない夫婦の固い絆が出来上がる。孫娘の恋愛が破綻したエピソードとイシとギャツォ夫婦の関係を対比した構成が、最後に大きな感動を生む。

(原題:益西卓瑪 Song of Tibet)

2003年お正月公開 東京都写真美術館ホール
配給:ビターズ・エンド、フォーカスピクチャーズ
(2001年|1時間45分|中国)

ホームページ:http://www.bitters.co.jp/

Amazon.co.jp アソシエイトDVD:チベットの女/イシの生涯
関連DVD:シエ・フェイ監督

ホームページ

ホームページへ