チャドルと生きる

2002/07/04 メディアボックス試写室
イラン国内での女性抑圧をシャープに描き出した作品。
全体の構成を循環型にしたのがミソ。by K. Hattori

 社会の中で“普通の生活”を送っている人にとって、差別や抑圧はきわめて目に付かないものだ。例えば社会が女性に期待する役割に何の違和感も抱かず、社会が規定するステレオタイプな女性像に添った生き方をしている限り、その人が「女性差別」を意識することは絶対にあり得ない。仮に差別の存在を知ったとしても、それは自分とは何の縁もゆかりもない遠い世界の出来事として理解されるだろう。だが何かしらの事情で社会が期待するステレオタイプな生き方から逸脱してしまった人の前には、社会にはびこるさまざまな差別や抑圧の姿が見えてくる。それは社会規範にそぐわない生き方を選択してしまった者たちを無慈悲に打ち据え、二度と“普通の生活”には戻れなくしてしまう。

 先頃崩壊したアフガニスタンのタリバン政権が、女性に対してきわめて抑圧的な政策を採っていたことはよく知られている。隣国イランの映画監督モフセン・マフマルバフは、『カンダハール』という映画でその非人間性を告発した。だがそのイランは、タリバンの政策を非難できるほど女性に対して開放的な政策をとっているのだろうか? '60年生まれというイランでは若い世代の映画監督ジャファル・パナヒ('95年の『白い風船』が日本で公開されているらしいが僕は未見)は、この映画『チャドルと生きる』の中で“普通の生活”から落後してしまった女性の視点から、イラン国内の女性抑圧を描き出している。キアロスタミやマフマルバフの映画に登場しないイランがここにある。

 映画はまとまりのある小さなエピソードをリレーしていく、オムニバス風の構成をとっている。スタートは病院で生まれた女の赤ん坊。そこから3人の脱獄囚の話にバトンタッチし、三者三様の緊迫したドラマを順番に描く。さらに赤ん坊を捨てる母親の話。警察に捕まった若い娼婦の話。そして最後に、警察の牢屋の中にカメラが入って、映画は最初から最後までがきれいに循環する。この映画の英語タイトルは『The Circle』。女たちの逃避行は、結局のところ終りのない堂々めぐりとなって出発点に戻るしかない。脱出路のない永遠の循環の中に、イランの女たちは捕らえられて逃げられない。イラン社会は女たちにとって牢獄でしかないことを、強く観客に訴える作品だ。

 1時間半というコンパクトな時間の中に、年齢も抱えている悩みも違う大勢の女たちを登場させる無駄のない構成。彼女たちがなぜ刑務所に入ったのかという事情はぼかしてあるが、この映画が描こうとしているのは女たちを捕らえて離さない閉じた輪の存在そのものだから、これはこれで映画としての用は足りている。ひとつひとつのエピソードはどれも1本の映画になるテーマを抱えているが、それを映画という枠組みの中にきれいに並べていくことで、全体としてはガラス箱のコルクにピン留めされた蝶の標本のような美しさを持つ映画になっていると思う。

(英題:The Circle)

2002年8月中旬公開予定 シブヤ・シネマ・ソサエティ
配給:ギャガ・コミュニケーションズKシネマ 協力:ナド・エンタテイメント
(2000年|1時間30分|イラン)

ホームページ:http://www.gaga.ne.jp/circle/

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関連書籍:イスラムとヴェール
     ―現代イランに生きる女たち(中西久枝)

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