旅立ちの汽笛

2002/07/03 映画美学校第2試写室
『あの娘と自転車に乗って』のアブディカリコフ監督による自伝的映画。
主人公の性に対するあこがれと男女の愛の暗い淵を描く。by K. Hattori

 長編デビュー作『あの娘と自転車に乗って』から2年。キルギスの映画監督アクタン・アブディカリコフの新作だ。今回の映画は短編『ブランコ』を含めた自伝的三部作の完結編になるのだという。3作の主演はすべて監督の息子であるミルラン・アブディカリコフ。物語は監督の少年時代のエピソードをもとに、当時見聞きした友人や知人たちのエピソードを加えて膨らませてあるという。前作はパートカラーだったが、今回はすべてカラー撮影だ。

 映画の主人公チンプは17歳。徴兵検査にも合格し、兵役に行くまでの短い季節を故郷の村で過ごしている。仲間内の合い言葉は「兵隊に行くまでに童貞とオサラバしよう」だ。かといってこれがキルギス版の『アメリカン・パイ』になるはずはなく、チンプは思春期の悩みをたっぷりと抱えたまま、自分自身や家族や周囲の出来事に対処していかなければならない。

 物語の入口は思春期の少年が迎える「性への目覚め」だが、映画はそこからさらにテーマを掘り下げて、男女間の愛について、さまざまなバリエーションを画面に展開していく。主人公チンプや仲間たちが、女の子のスカートの中を覗いたり、ダンスで女の子と身体を密着させることにドキドキしたりするような、いかにも子供っぽく幼い性に対する意識。幼馴染みの女の子が、急にまぶしく感じられるようになる瞬間。彼女と目が合うと、思わず目をそらしてしまうような気恥ずかしい気持ち。きっと誰もが10代の頃に一度や二度は経験しているはずの、胸が苦しくなるような異性への憧れを、この映画は淡々と描いていく。だが映画はこれだけでは終らない。

 チンプの家では夫婦の折り合いが悪い。毎晩のように泥酔して帰ってくる父親。母親は父のベッドを庭に放り出し、父親は庭の木の下でひとりで寝起きしている。チンプはそんな父を軽蔑し憎んでさえいる。だが母親が子供たちを連れて家を出ていったあと、酔った父親が心中を吐き出すシーンでは、チンプの母もまた夫婦仲を悪くさせる原因であったことがわかるのだ。

 とはいえ、映画の中心になるのはやはりチンプのセックスだ。映画の中に、ジーナという若い娼婦が登場する。村中の男たちと関係を持ち、チンプにもちょっかいを出す彼女は、村中の男たちから少しずつ愛され、それ以上に軽蔑され馬鹿にされている存在だ。チンプの物語がこの映画の主旋律だとすれば、ジーナはそれとは別のメロディを奏でながら物語に併走する。ふたつの旋律は時にからみあって対位法的な効果を生み出しつつ、映画の最後に愛の残酷さを歌い上げていく。これがチンプの父親のエピソード、チンプが片思いの少女に自分の気持ちを告白する場面、そしてジーナの家が燃え上がるクライマックスに至る構成は、人間の愛が持つ両面性をクッキリと浮き彫りにしていく。

 ところでバケツを持って全員が走るより、バケツリレーの方が早くないか?

(英題:THE CHIMP)

2002年8月下旬公開予定 シアター・イメージフォーラム
配給:ビターズ・エンド
(2001年|1時間30分|フランス、キルギス、日本)

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